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「『心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。わたしがどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている。』トマスが言った。『主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか。』イエスは言われた。『わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」(ヨハネによる福音書14章1~6節)
人生において確実なものは少ないですが、その中には厄介と死もあります。私たちは直面するたび、体と生涯の限界を感じます。厄介も死もいつか必ず訪れて、防ぐことなんてできません。
もちろんそれによる痛みと絶望感は1人1人形が違いますが、誰でもあります。
終わりを考えて始める
私たちの元になるのは希望です。
でも、何に対する希望?どう信じればいい?信頼はどこに置けばいい?
その希望は「何とかなる」というぼんやりとした希望じゃないです。
むしろ、天国から頂いた約束に基づいて、次の確信ができる希望です。
その道、知っています!
その真理、知っています!
その命、知っています!と。
話しの終わり方
「シックスセンス」のようなミステリーの話しや、
スポーツ試合など、結末が知った上でまた見ると
その流れと展開がすでに知っているから流れが予測できます。
イエスが「わたしは道であり、真理であり、命である。私に従いなさい」と言われることで
私は希望があります。信じるイエスこそがその元になります!
なので、私は自分の話しの終わり方はすでに知っていますよ。
あなたはどうですか?
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