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2026-01-15

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1月 15, 2026
あなたに背負う使命が決してない負担
永遠のように歩いていました。私は疲れてきて、たった一歩でも取れるのかなと思いました。背負う負担が重すぎて、1人でできると思うなんて、バカだったな。腕から、脚と背中まで、体の全部が痛くて重荷で倒れそうでした。考えも鈍くなってまででした。 しかし、何より疲れていたのは、心です。 その時、私は男を見かけました。その男は温かくて優しそうで、私の負担を背負うように言ってくれました。私はこの重荷を背負わなくてもよくなる考えだけで、目が輝いてきました。 「はい!」私はつい叫びました。「助けてください!」 そしたら、その男は負担の全部を取って自身にかけました。その時に感じる解放感は想像以上だったけれど、始めて経験したもので、最初に自身がありませんでした。 何回も男に言い出しました。「本当に私が持たなくてもいいんですか?重すぎません?一個だけでも私にください。手伝いますよ。あまりにも申し訳なくて!私も何かすればいいでしょう?」 なのに、その男は毎回、自分自身で全部が背負えると応えました。 でも、よくあるように私は心配になりました。 何か落としていないのでは?男の力に対して疑問が生まれて、やっぱり彼には重すぎて、何か置いていってしまったかと思ってきました。考えるほど戻って確認した方がいいと思うようになってきました。 私は歩き続けると、周りの人が「これも持てばいい」という言葉で荷物を渡してきます。そしていつの間にか、前と同じ道で更に重い負担を背負って歩いていました。 どうしてまたこういうことが?私の心は泣き叫びました。前と同じ状況になるなんて。 その時、また私の重荷を背負うと言ってくれた、その温かくて優しい男を見かけました。 「わたしについてきなさい。」と言いました。 ガラテヤの信徒への手紙5章1節はこう言います。 「この自由を得させるために、キリストはわたしたちを自由の身にしてくださったのです。だから、しっかりしなさい。奴隷の軛に二度とつながれてはなりません。」(新共同訳) 私たちは律法から解放されました。 パウロはガラテヤ人にそう伝え続けました。キリストによって自由になりました。律法は、私たちに背負えないほど重たいのですが、キリストが私たちを律法の下から解放してくださいました。だから、私たちはこれから神様の恵みで歩みます。 しかし、それでもガラテヤ人は勘違いしました。まだするべきことあるんじゃないか?と思って。もちろん、そのするべきことはイエスへ信仰を持つことです。でもユダヤ化派の支持者は、信仰だけじゃ足りないと主張しました。救われては信仰の上にユダヤの律法を守り切る必要があると教えました。 その律法は、キリストが満たしました。 ガラテヤの信者は律法から解放されていました。その重い負担を背負う必要はもうありませんでした。新しい命を得て、自由をもって歩めるようになっていました。 毎日キリストと一緒に歩んで、キリストを愛してキリストに仕えて、そして頂いた恵みを周りの人にも与えるようにする自由がありました。 現在の私たちにも、なんという凄い思い知らせでしょう。 解放されたような生活を送って、常に努力することによって主の好意を得るという思いにならないようにしましょう。 ただ、その男についていくだけです。 神様の恵みとは、なんと凄くて、なんと美しいでしょう。 イエスと真の関係になりたい方には、ためになるツールがあります。イエスはあなたも今ついていくように呼んでいて、どうやってついていくかぜひ見せたいです。 follow.lifeword.orgを御覧ください。 Copyright © 2025 Lifeword.org. All rights reserved. No ...
1月 13, 2026
目の前に隠れていること:聖書に潜んでいる真実を発見する
「始めて気づいたな」と思いました。 「夜のカフェテラス」とは、1888年フィンセント・ファン・ゴッホが描いた絵画です。その絵画を一度見ると、町の道での美しい夏の夜が広がって、人がテーブルで集まって暖かい光の中に食事するように見えます。 しかし、またよく見ると最初に気付かなかったところが見えます。 テーブルで座って食事する男たちの人数。 真っ白な服で給仕するウェイター。 ウェイターの後ろにある窓。 ある学者によると、作家と歴史的背景を考慮した上で作品を見ると、潜んでいる意義が見えてきます。 座っている12人が使徒を代表する可能性。 ウェイターの後ろにある窓が十字架に見えること。 真っ白のウェイターが使徒12人に給仕するイエスの象徴になる可能性。 この目線で作品をもう一度見る私は、「始めて気づいたな」と思いました。 そして今朝も、聖書を読む中同じ体験をします。 ガラテヤの信徒への手紙4章21-31節は印象に残る対比があります。パウロは、キリストへの信仰の上にユダヤの律法に従わなければならないと思う人を対処します。その考えに反論するため、アブラムとハガルとサラの話しを参照にしました。 そうしてパウロはハガルが象徴する、律法に奴隷のような人生と、サラが象徴する、神様の約束によって自由になる人生を対比します。女性2人で2つの約束を現わします。人間の努力で奴隷になる元になる約束と、天国の約束と自由の元になる約束。 神様は一夫多妻を許しません。男性1人と女性1人の間にできるように設計しました。だけど、人類に自由意志があるため、神様の設計に合わない選択をよくします。その事例の一つはアブラムが自分なりに神様の約束を実現する決断です。 それにしても、神様は間違った選択と不十分な人を使って偉大な計画を果たします。そして私たちは聖書を通してその果たしが見えます。 聖書には、比べになる本が他にありません。神様の生きている御言葉です。1ページずつ、歴史や愛情や戦争や裏切り、そして贖いで溢れるストーリーが展開します。あなたには他に憧れる作者さんや作品があるかもしれないけど、聖書のように作者のあなたに対する愛を表す本は他にありません。そして深く関われば関わるほど、神様のことと神様の中にいる私たちのことがはっきりと理解できます。御言葉は生きています。御言葉は私たちの中に働きを果たします。御言葉は私たちが人間のようからキリストのようになるために変えてくれます。 どれだけ長く聖書を呼んで学んでも、読む中驚いて「始めて気づいたな」とためらう時は必ずやってきます。 あなたはより深く学びたいのですか?イエス様のことをより深く知りたいのですか?follow.lifeword.orgをご覧ください。 Copyright © 2025 Lifeword.org. All rights reserved. ...

 

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