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6月 03, 2026
キリがない欲望とキリストによって真の満足
「着るものまったくないんだけど!」 昨日、私は義理娘と話していて、彼女が夫とのデートナイトについて話していました。クロゼットの中にめを通す間に、人によくあるそのセリフを言いました。彼女をはじめ、そう言ってしまう私たちには実は洋服がいっぱいあることがよくあります。ドレス、シャツ、セーター、ジャケット、スカートなど山ほどあるのに気に入るものが全くないという経験です。 そして、その次よく考えることは、 アマゾンなどの販売サイトがよく予測します。私もスマホのアプリを開くと、すぐに「春キャンペーン」などの広告があって、その内容が新しい洋服ばかりになることがよくあります。 ついつい買っちゃいますよね。 洋服じゃなくても、家の家具、自動車、食材・食べ物、子供の物でもあるかもしれません。私たち人間は、常に「もっと」が欲しいです。なのに、実際に手に入れたら、しばらくするとまた不満な気持ちになります。 最近増えてきた中古屋さんもその影響でしょう。人が買って買って、また新しい物を買うために古い方を売るなど。 私もそうやりますね。 自分自身に対して「幸せ」と言っても、生活において終わりのない買い続けが違う証拠になるでしょう。 「さて、あなたがたがわたしへの心遣いを、ついにまた表してくれたことを、わたしは主において非常に喜びました。今までは思いはあっても、それを表す機会がなかったのでしょう。物欲しさにこう言っているのではありません。わたしは、自分の置かれた境遇に満足することを習い覚えたのです。貧しく暮らすすべも、豊かに暮らすすべも知っています。満腹していても、空腹であっても、物が有り余っていても不足していても、いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています。わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です。それにしても、あなたがたは、よくわたしと苦しみを共にしてくれました。」(フィリピの信徒への手紙4章10~14節) この聖句を読んで、中心のテーマでビックリする人もいます。13節は個別に有名な聖句であり、クリスチャンの励ましになるところとして考えられることよくあります。アメリカでは、スポーツ選手が時々ネックレスやブレスレットなどに書く場合もあります。運動神経がなくても、そのアクセサリーを着けて神様から勝利する力を頂くみたいな眺めです。 もちろん、神様ならできはします。万能の神ですから。でも、それによって御心が実現されるのでしょうか?パウロはその意味で上の聖句を書いたでしょうか? 「全てが可能」というところをもう一度見ましょう。元のギリシャ語では、実はその意味が「持つ、所有する」というのです。 つまり、「何でもできる」より「どんな状況でも大丈夫」という教えになります。 満足。 キリストは私たちの内におられるから、私たちはその力を持っているから、満足できます。豊富でも貧乏でも、どの状況でも満足できます。 パウロはなんと、牢屋の中でこの手紙を書きました。その間、他人の親切によって暮らしていたんです。従って、この聖句はその親切に礼を伝える内容になります。そしてその上に、フィリピの信徒にどの状況でもイエスという最高な贈物を持っていたから満足できると思い知らせたのです。 耳が痛いですね。 私は、たとえば、足指をぶつけるくらい痛いです。 この世が掲げる「今よりもっと」の目的についつい流されます。パウロが書いたこの知恵の言葉は、キリストの者となれば他に必要がないという優しいリマインダーになります。豊かにある時も、あまりない時も、イエスに感謝できるようになります。 「主よ、感謝します!毎日毎日、私たちに必要な物全てを下さってありがとうございます。あなたは恵みの元になる者です。私たちに、この真実を忘れず、あなたのご臨在だけで満足できますようにお助けください。そしてあなたから更なる祝福を頂く時も、私たちは周りの人に分け合うことができますようにお助けください。アーメン。」 今日からは、持っていない物じゃなくて持っている物を集中しましょう。主から頂いている全てを覚えて、それを使ってどのように周りの人に祝福を与えることができるように考えましょう。 満足になることやイエスのように生きることについて詳しく学びたい方は、follow.lifeword.orgを御覧ください。
A captivating image of an open book under a dramatic spotlight, symbolizing knowledge.
6月 01, 2026
言は肉となって
「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。 「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。」ヨハネによる福音書1章1~5、14節(新共同訳) イエスは、 言であり(ギリシャ語の「ロゴス」、作者と真理の元)、はじめにおられ、最後にもおられ、神と共におられ、神であれ、世の創造者と光である。私たちと共に生きて、私たちのために死ぬ目的で世界におられました。恵みと真理の作者であります。 そして、信じる者皆の救い主であります。 Copyright © 2026 by John Meriweather @ https://www.facebook.com/john.meriweather.3 ...

 

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