Day by Day Video
いい人は対象外
決して許せなさそうな人こそイエス様が一番求めています。
By: Donny Parrish (Lifeword)
Aired on
9月 20, 2016
Format
1080P
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Duration
00:02:32 min.
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Size
100.77MB
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Day by Day - 1 Samuel
信頼じゃなくて習慣
イエス様の代わりに宗教的な行動に信頼を入れることをしないように気を付けましょう。
By: Clif Johnson (Lifeword)
Aired on
6月 22, 2023
Format
1080P
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Duration
00:02:22 min.
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Size
85.59MB
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Day by Day - 1 Samuel
現代の迷信
私たちが神様を尊敬しない時がよくあります。
By: Clif Johnson (Lifeword)
Aired on
6月 23, 2023
Format
1080P
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Duration
00:02:45 min.
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104.21MB
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世代的な呪いの事実
あなたは自身に両親と全く同じ行動のパターンが見えていませんか。
By: Allison Hawkins (Lifeword)
Aired on
7月 03, 2023
Format
1080P
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Duration
00:01:27 min.
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Size
50.32MB
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神様の存在が感じない時にするべきこと
その時までなかったように神様の存在を強く感じた時期を経験したことがありませんか。
By: Allison Hawkins (Lifeword)
Aired on
6月 28, 2023
Format
1080P
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Duration
00:01:09 min.
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Size
46.27MB
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11月 12, 2025
神様から復旧の呼びかけ
ハンマー、電動サンダー、のこぎりからの騒音が消えていって、ぼんやりとする思い出になりました。
何年前、古い豪邸は街の飾りのようになっていました。その時、お金持ちが復旧するために購入しました。工事が始まって、町民は豪邸がどんな見た目になるか喋りながら楽しみにしていました。工事で古い壁紙を剥がして、木材の床を研磨して、キッチンの古いタイルを外しました。
ですが、ある日から、工手が来なくなりました。そして豪邸が壊れたままで置かれました。復旧過程が始まる前の状態よりひどくなっています。時間が経って、雑草が生え始めました。板が寄りかかる挽き台が庭で置かれたままです。
人がその豪邸を通るたび、「もったいないな」と言って首を振りました。なのに、また復旧にお金を投じようと思う人物が一人もいませんでした。
コリント人への手紙二2章5-8節
「悲しみの原因となった人がいれば、その人はわたしを悲しませたのではなく、大げさな表現は控えますが、あなたがたすべてをある程度悲しませたのです。6その人には、多数の者から受けたあの罰で十分です。7むしろ、あなたがたは、その人が悲しみに打ちのめされてしまわないように、赦して、力づけるべきです。8そこで、ぜひともその人を愛するようにしてください。」
とある時、教会は罪を起こす人に罰を与えました。そしたら、その人は正しく悔い改めました。ですが、教会はまだ許してあげません。
復旧の働きが始まったような状況ですが、教会が協力してこなければ進むことはないのでした。
教会には、告白を受け入れて、その人を許して、慰める責任がありました。なのに、真に必要なものを与えてあげませんでした。
教会が懲らしめる目的は、必ず許しと復活のためです。決して人の人生を台無しにする目的になりません。
容赦は与えがたい場合でも最終結果になるはずです。そうしないと、あなたの人生にサタンの足場が現れます。
マタイによる福音書18章21-22節
「そのとき、ペトロがイエスのところに来て言った。『主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。』
22イエスは言われた。『あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。』」
家を壊れているままに置いていかないようにしましょう。むしろ、完成まで投じましょう。復旧させるのが正しいです。あなたも心をかけて頑張ると、素晴らしい結果になります。
相手が悔い改める時、その人を許して、復元させて、慰めてあげましょう。
ですが、相手が悔い改めなくても…
イエス様が教えた通りに、その人を許すことがまだできますよ。関係を復元する結果にならないかもしれませんが、少なくてもあなたの心と意図がキリストのと一致になります。
キリストとその教えに従うこと、詳しく知りたい方はfollow.lifeword.orgを御覧下さい。
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11月 10, 2025
油断のならない罪
「…ダビデがしたことは主の御心にかないませんでした。」
戦士、賛美の指揮者、詩篇の作者、羊飼いのダビデは、罪を起こしてしまいました。重たい罪を。知らないうちについ起こしたわけじゃなくて、あえて起こすことを決断しました。
ある春の季節、戦争に出動したはずダビデは街に居残りました。そして、体を洗う女の人を見てしまいました。目をずらすこともせず、見つめながら自分のにする計画を考え始めました。暴力行為じゃないようだけど、神様はバト・シェバその女性じゃなくてダビデ王の責任にしました。バト・シェバには選択なんてありませんでした。
どのように、「御心にかなう人」と呼ばれる男がこうなるでしょうね。
私にとって、曰くなくていきなり大きい罪を起こしてしまうことじゃないです。代わりに、信仰による生活を世による生活を混ぜる日々の決断からだと思います。ダビデのストーリーをよく見ると、最初から譲歩の気配が見えます。例えば、ダビデは妻何人も娶って、たくさん子供がいました。
つまり、ダビデの弱点は女性で、神様に捧げなかった唯一のことでした。
ダビデ王を見下しがちかもしれませんが、私の方が無罪なわけじゃありません。神様に色々を捧げた中、それでも悪いクセや間違っている考えがいまだにあるのに、捨てることができません。生活の中に持っていて譲歩します。そして、神様に捧げることはしません。
捧げるためには、私の心を見てなぜその行動をするか理解する必要があります。その行為の根っこを探す必要も、誘惑に戦うための努力が必要もあります。それは、妥協して生活の中に持つことにすると、譲ることが難しいです。
そしてこれこそが油断のならない罪です。
自分の罪を最初に許すと、反対せずにまたまた許せば許すほど大きくなります。譲歩によって膨らみます。王が何人の妻を娶ることのように世が許すことでも、神の王国には決まりが違います。そして私たちにも同じ基準に応えなければなりません。信仰による生活をしなければ、世による生活に戻るわけになります。
この世は、心の門になる目に誘惑をかけるのです。スマホでも、テレビでも、行き先でも、読むものでも、誘惑になることはあります。私がよく聞く言葉は、「誘惑になっては最初の一見じゃなくて、振り替えの2回目です。」と。そこに誘惑に引っ掛かります。
それに、この世は心の別の門になる耳にも誘惑をかけます。周りの人でも、習慣で聞く音楽やポッドキャストでも、聞くことは考え方に影響を与えます。毎日周りの人からその影響があって、聞く言葉だけでも行動や考え方が変わります。
目と耳を通すことを許すことは、かならず考え方に影響があります。考えれば考える程、する可能性が高まります。私たちもダビデみたいに、急に大きい罪を起こすわけじゃなくて、前から考えにあったことがあります。どこか譲歩して、徐々に大きくさせます。
そして、敵は私たちのことを知っています。常に私たちを見て、過去からあった誘惑、起こしがちの罪を覚えています。家族の罪の過去も、よくある行為も知っています。目の前にあると気を引くものはよく分かっています。聞きたいことも。ずる賢い敵で、譲歩の形でかける誘惑も油断できません。ちょうどいいタイミングでかけて、私が負けるようにします。
その一方、どんな形になっても(例えば、予言者ナタンがダビデに伝えた子羊のたとえ話)神様は必ず罪を思い出させます。それはいいことですよ。私たちは神の子だという証拠ですから。私たちに罪を見せることは、神様の親切です。それによって、私たちは悔い改めるこころで神様に戻ると許していただけます。罪の中に癒しを求めるのは、神様の恵みによるのです。とても大変で、とても美しいことです。
そして、友よ、最もひどい間違い最もいいきっかけになることもあることから希望を得ましょう。神様がそれをきっかけにされて私たちのこころを変えてくださいますから。
ダビデの間違いによって王座から追い出されたわけじゃなかったですが、それでも罪の代価が高かったです。行為は必ず負わなければならない結果があります。ダビデもそうでしたし、私たちもそうです。ですが、神様に戻ると励ましていただけます。罪で重たい心から忠実を持って軽い心になります。そして、聖霊の力をいただいて罪を超えられるようになります。詩篇51篇によると、心肺蘇生法のように神様がダビデの心に蘇らせて、それによってダビデが悔い改めました。
罪の汚れを流していただいて神様の恵みを浴びるべきです。罪を背負う中に救いと癒しをいただくべきです。神様は捧げることの力と美しさをこの次の祈りを通して教えてくださいます。「ああ神よ。 どうか、きよい思いと正しい願いで満たされた、 新しいきれいな心にしてください…救いの喜びを再び鮮やかにして、 心からあなたに従おうとする思いに満たしてください。」
この祈りは、神様が必ず答えておられます。人生に小さな譲歩が大きな影響になる時も、同じことをしてくださいます。
あなたには、ただ悔い改める心だけが必要です。
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