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2025-12-25

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12月 23, 2025
神様が下さった最高な贈物は何か
「何が入ってるの?」 私は綺麗に包まれた箱を優しく振りながら旦那に聞きました。 「欲しくないのか?」旦那がそう返事する。 「いやでも、なんで?なんか今日特別なの?私が何かしたことに?え、もしかしてあなたが何かを?」 旦那は首を振って、「いやいや、ただ愛してるからだけだよ。ほしくないのかい?」と言いました。 あなたなら、このプレゼントを受け取って、開けて、中身をもらうことにしますか? 私がそうしなかったらおかしいでしょうね? ただ愛されているだけでプレゼントをもらうって、なんて素晴らしい気持ち! ここで、神様からもプレゼントがあると言われたらどうですか? もちろん、もらえるために何かしないといけないことはないですよ。裏はありません。神様が愛してくださっているだけあって与えたい贈物です。 あなたなら受けますか? 最近はコリントの信徒への手紙二を通読し終わりました。そえから次のページのガラテヤの信徒への手紙を開くことが美しいプレゼントから赤いリボンを外すような気分です。 中に何が入っているでしょう?あなたへのプレゼント?誰でもへのプレゼント? 待っている贈物は、他のと格別です。人生が変わってしまうほどですよ!そして素晴らしすぎて、誰でもに分けたくなります。 さぁ、今から開いて何が入っているか見る準備はいいですか? リボンを外して、箱を開けて、神様から何を頂いたか見てみましょう。 ガラテヤの信徒への手紙1章4節 「キリストは、わたしたちの神であり父である方の御心に従い、この悪の世からわたしたちを救い出そうとして、御自身をわたしたちの罪のために献げてくださったのです。」 なんて凄い贈物! パウロは福音に関する勘違いについて話すためにガラテヤ人にこの手紙を書きました。新しい信者をユダヤ人になってからクリスチャンになるようにさせようとする教師がいました。「ユダヤ化派」と呼ばれて、救いを得るために律法全てを守らなければならないと思っていました。福音の簡単な真実すら把握できていませんでした。 救いは、神様からただで頂ける贈物です。得る価値になるために、できることはありません。なんで?それは、イエス様が十字架ですでに全てしてくださったからです。 ガラテヤの信徒への手紙にわたって、救済の真実とそのもたらす自由と新しい人生について学びます。 祈り: 「神よ、私なんて独り子イエスが命で払ってくださった贈物をあなたから頂く権利がありません。私が聖書を読む時、パウロのメッセージを理解してあなたの恵みだけによって救いという素晴らしい贈物を受けるようにお助けください。私の価値が努力から来ないという考えをなくして、あなたからだけその価値を頂けるように心を変えてください。毎日あなたと過ごしてあなたとその愛を学ぶ機会があって感謝します。私と共におられますように。イエスの聖名を通してお祈りします。アーメン。」 質問: ガラテヤの信徒への手紙1章3節は「わたしたちの父である神と、主イエス・キリストの恵みと平和が、あなたがたにあるように。」と言います。恵みとは何だと思いますか?恵みと平和はどこから来ますか? パウロは、「キリストは、わたしたちの神であり父である方の御心に従い、この悪の世からわたしたちを救い出そうとして、御自身をわたしたちの罪のために献げてくださったのです。」と言いました。どんな罪が、神様が独り子を送らせて十字架で殺されるようにする程重くて、そしてなんでそもそも救い出しが必要ですか? イエス様に従うことを詳しく学びたい方は、follow.lifeword.orgをご覧ください。 Copyright © 2025 Lifeword.org. All rights reserved. No ...
12月 22, 2025
クリスマスの喜びと静かな望み
私はこの季節が大好きです。飾り、集会、眺めも物音も香りも味も全てが大好きです。 ほとんどの場合は、祝いの盛り上がりを直感します。ほとんどの場合は。 でも時々、この季節と共に内のどこから望む気持ちが湧いてきます。ホリデーのキラキラと比べになる、壊れている関係、苦しむ人、そして落ちている世界という思い知らせもあります。 光と命のキリストに目が覚めては、周りにある他が薄暗く見えます。 きっとそうなるのは私だけじゃないでしょう。 今年、喜びと同時に苦しみを感じることが普通と学んできました。なんなら、神様の国で住むことに対して現実を映すイメージのようです。神様がしてくださった全てに喜びながら、世界がまだ作られたための存在になっていないことで消え残る悲しみを感じます。 その悲しみも、望みや苦しみも無視したり逃げようとしたりすることにする時もありますが、やり続けると福音が薄くなってしまいます。 喜びと望みの混ざりは、キリストの話しを最も描く体験に違いないんです。 照らす栄光と暗い絶望が同時にあることで、福音が少なくなるわけじゃありません。むしろ、その真実を強めます。 キリストは絶望を消したんじゃなくて、奥まで入りました。 闇に入って、影響に抵抗せず完全に受けました。 で、そこが話しの終わりだとしたら、祝うなんで愚かなことですよ。しかし、闇が勝たなかったからこそ、私たち重荷を背負う者は賛美できます。 「元気出して」じゃなくて「私のところに来なさい」と言ってくださる救い主がおられます。私たち、他の人、そして世界の中にあって落ちている全てがいつか照らす栄光に変わるという将来の希望をくださいます。 Copyright © 2025 by Heather Harrison @ heathergrantharrison.wordpress.com No part of ...

 

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