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2026-02-24

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2月 24, 2026
開幕の時
「わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる. . . 」コリントの信徒への手紙一13章12節 開幕というのは、舞台のように何かが始まるイメージがとても強いです。楽しい話しになるか、悲しい展開になるか、何になるとしても、幕が開いたら直面するしかありません。 オッズの魔法使いという話しでは、その恐れる魔法使いが結局、カーテンの後ろに隠れる普通の男の人だったという展開があります。登場人物皆は凄い者と思ったら違ったのです。幕が開いて、真実が目の前にありました。 私たちの人生もよくそうなりますね。 誰かとの関係、生活の状況、夢でもその中に何かが始まる時、開幕すると思ったと違う結末になります。楽しい話しになると思ったら. . . 結局悲しむ話しになります。長い話しでいっぱい楽しめると思ったら. . . すぐに終わってしまいます。話しで心がいっぱいになると思ったら. . . 逆に心細くなってしまいます。 人生の中に、がっかりする展開がたくさんあります。 ですが、天国は決して違いますよ。 聖書がこう言います。 目が見もせず、耳が聞きもせず、人の心に思い浮かびもしなかったことを、神は御自分を愛する者たちに準備された」コリントの信徒への手紙一2章9節 今、私たちは天国がはっきりと見えません。どんな場所になるか想像もつきません。この世にいる内、説明があっても理解できないでしょう。聖書がいうには、「鏡におぼろに映ったものを見ている」のです。見えてはいますが、ぼやけてよくわかりません。約束されたのは本当ですが、その果たしの全部がまだ見えません。幕の前に立っていて、その後ろに何かすごいのがあると考えるようです。まだ通れませんが、いつか幕が開きます。 私に友達がいて、その人の兄弟に目が見えなくなる病気があります。毎年、段々視野が弱くなって、見える物事がぼやけてきます。ですが、その人は今でも教会に通って、喜びで説教を聞きます。祈祷会にも参加して、讃美歌を歌って、そして神様を信頼する人です。目が弱くなっていても、信仰は強いままです。 私たちにとって見るのが当たり前ですが、彼はそうじゃなくなっています。 でも、いつかの日に. . . 幕が開きます。 その日、彼の視野がぼやけているなどじゃなくて、一部だけ見える状態などありません。鏡におぼろに映ったものを見ているような状況じゃないです、その時。代わりに、「完璧に」見えます。 彼も、私たちもそうなります。 「命の道を教えてくださいます。 わたしは御顔を仰いで満ち足り、喜び祝い 右の御手から永遠の喜びをいただきます。」詩編16編11節 なんという素晴らしい日になるでしょう。 ですが、今でも聖書によってちょっとだけイメージができます。 「彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない. . . 」ヨハネの黙示録21章4節 病気もなく。 苦しみもなく。 悲しみもなく。 孤独もなく。 見えない目もなく。 葬式もなく。 別れもなく。 そして、悲しむ話しもなく。 天国では、開幕の時に「あ. . . 思ったと違う」ということはありません。キリストの御前で跪いて「想像したより偉大」と賛美するだけです。 いつか、鏡がなくなって、 幕が開いたままになって、 私たちは信仰じゃなくて視野で歩みます。 「だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。」 イエスに対面して、 その傷の手を見て、 王の食卓で座ります。 今の世では決してわからないことがその時分かります。 今の人生は、開幕の時がっかりや悲しみになる場合が多いです。でも、キリスト者には、心が悲しむんじゃなくて満たされる最後の開幕が待っています。 なので、この世に悲しみがある時. . . わけが分からないことがある時. . . 開幕が希望じゃなくて痛みになる時. . . その時覚えていきましょう。その時の開幕は最後の開幕じゃないですと。 まだ最高な開幕が待っています。 そしてついに天国の幕が開く時、期待に応えられないものには決してなりません。絶対、想像より断然に良いものが目の前にあります。 Copyright © 2025 Lifeword.org. All rights reserved. No part of this ...
2月 19, 2026
時間がなくなりそうなところで最も重要な事
「明日があるから」じゃなくて「今日がなくなるから」と考えるようになったら、周りにの人に伝えて最も重要な事はなんでしょうか? 私なら、大切な人に何を知ってもらいたい? 私は今朝、エフェソの信徒への手紙を読んでいるところで3章に着きました。パウロがエフェソの教会に書いた手紙の続きで、この章は祈りで終わります。 わたしたちに一日でも人生が短くなるのだったら. . . 私なら、大切な人も、 あなたも、 真実を知ってほしいです。 その真実は、あなたが誰だって、今まで何をしたりしなかったりしたって、あなたを必ず愛している者がいます。 エフェソの信徒への手紙3章14-21節 パウロの祈りはとても美しいです。周りの人を本当に愛していて、イエスの真実を知って欲しかったのです。何百年も存在した社会の壁を壊して、神様の教会に対して素晴らしい計画を伝えたかったです。 まずパウロは神様の権威を宣言します。天地の全てを創造した者に祈っていると伝えます。何かを作ったのは、それが作った側の物になります。好きなように使っていいわけです。そして神様は私たちの上にその権威があります。権威があるから罪のある私たちを滅ぼしても正しいです。ですが、神様が慈悲をもって時間をくださるから私たちに真実を受けて救われるチャンスはまだあります。 哀歌3章22-23節 神様の力と権力が無限という宣言もあります。想像つかないでしょう?私もあなたも救って心を変える権威だけじゃなくて、その力も権力もあるんです。できないことはありません。あなたに神様が赦せないくらい酷いことを犯したと思っているのだったら、この聖書は逆だと証しを立てます。 そして救われた時、そこで神様が去っていくわけでもないです。「ようこそ」と握手してから消えて二度と戻らないわけじゃありません。むしろ、神様は毎日毎日私たちと共に歩んでいくと約束します。神の霊こそが私の内に訪ねてきます。パウロがいうように、イエスは信頼になった場に私たちの心の中に宿るのです。 ですが、友よ、聖霊は罪だらけの心に留まることができないと覚えていきましょう。ありのままで主の御前に行きますが、愛と憐みをくださる神様は決して私たちを変えないわけじゃありません。聖霊はすぐに、その住まいを綺麗にしはじめます。内も、外も。知らない内に、私たちの望み、考え、言葉、そして行動が段々自分のよりキリストのようになっていきます。そして聖書で神様のことをさらに深く理解できるようになると、私たちの全てがイエスの映し出しにもなります。 私のあなたに対する願いはこうです。 「また、あなたがたがすべての聖なる者たちと共に、キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解し、 19人の知識をはるかに超えるこの愛を知るようになり、そしてついには、神の満ちあふれる豊かさのすべてにあずかり、それによって満たされるように。」 神様の愛がどれだけ深いか知るようになりますように。私がよく言うことですが、万能の神に愛されるより良いことはありません。そこから全ての祝福が溢れて、そこから知恵が咲きます。そしてそこから贖いを得ます。 ならば、私たちはどうすればいいでしょうか?その救いに応えてどんな礼が十分になるのか?偉大な羊飼いが99匹の羊から離れて、たった1匹を救いに行きました。 私たちは、全てを持って全てを捨てて自分の血を流すことで私たちに贖いを与えた者に人生をを委ねて、その者に仕えるべきです。 神様に全ての栄光あれ。賛美を捧げ。 「わたしたちの内に働く御力によって、わたしたちが求めたり、思ったりすることすべてを、はるかに超えてかなえることのおできになる方に、 20教会により、また、キリスト・イエスによって、栄光が世々限りなくありますように、アーメン。」 あなたは救われていますか?そうなら、賛美しよう! 御言葉でイエスの真実に出会ったのでしょうか?そうなら他の人に伝えよう! 教会で交わりを見つけましたか?そうなら仕えよう! そして、うえの質問全部に「まだ」と答えた方は、一緒に学びましょう。今がその時です。一日だけでも少なくならないように. . . イエスのこととどうやって関係になるか学びたい方は、follow.lifeword.orgをご覧ください。弟子になって、他の人も弟子にしましょう。 Copyright © 2025 Lifeword.org. All rights ...

 

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