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6月 10, 2026 10:00am
全てが変わった跳躍
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「これって、本当に安全なの?」

私はその時まで、こんな状況になるとは思ったことがありませんでした。なのに、私はいつの間にか9メートルの柱の上に立っていました。もしかしてそれより低かったかもしれないが…とにかく高かったです。その上に、柱か私の脚か、何かが揺れていました。

過去は、毎年の夏私は高校生20人と一緒にサマーキャンプに行きました。その目的は、医療の仕事に興味がある子にその業界に触れさせて、どんな感じになるか体験を与えるのです。ジョブシャドウイング、専門家とインタビュー、体験の活動、そして柱を登る内容でした。その最後のは、一日中のアウトドアアクティビティの中にあって、信頼関係と協力性を養うためにあったのです。

子供たちに向けて。

私じゃなかったはずです。

なのに、なぜに私が柱を登って上に立っていました。実は、その設備は柱の近くにぶら下がっている棒がありました。柱の上からジャンプして棒を掴むのです。つまり、柱の登るのが挑戦の一部だけでした。頂上についてから立つようにして、掴むところなしでバランスを見つけなきゃなりません。そして、なんとか勇気を出して棒へ飛ぶのです。

私はその熱い夏の日、ちょうどその状況でした。高校生に「大丈夫だよ、安全だからやればできる」と励ますつもりでしたが、そういうのは自分自身がちゃんと地面に立っている時だけ言いやすいのに…

もちろん、わたしだって安全だと知っていました。必ずベルトが耐えて、必ず紐がしっかりと付いていると知っていました。そこに信頼があったからこそ、柱の上まで登れたのです。

なのに、頂上に立っている私には、一番怖いのが待っていました。

その跳躍が。その遠い跳躍が。私はジャンプすると、結果を確約することなんてできません。そこには信頼するしかないです。

つまり、信仰。

私には本当の信仰がありますか?それか、安全な時に口で言うだけですか?

コロサイの信徒への手紙1章23節

「ただ、揺るぐことなく信仰に踏みとどまり、あなたがたが聞いた福音の希望から離れてはなりません…」

パウロはコロサイの教会に入り込んだ異端教に反論する場面です、ある人は、意欲や喜びの全くない人生を送ると救われると教えていました。他には、救われるために決まった行式に従わなければならないと主張していました。これ以上混乱させる異端教がありました。ですが、合わせてキリストへの信仰だけで救われることから他の物事に信頼を置くと人を騙していたのです。

パウロはそこに、その人が前に受け入れて信じていた真実をもう一度思い出させました。

それは、福音です。

以前伝えてもらって、その人は真実を知っていたはずです。

でも、それにまた信仰が必要でした。

信仰とは、自分自身だけ信頼するところから、飛んでも安全と信じるようになることです。

わたしたちは人生においてコントロールできない状況になることがあります。

そこには信仰が必要になります。

あなたはもしかしてちょうどそういう状況の中にいます。高い柱の上に立っていて、次の一歩をとらなければいけないと分かっているような状況。でも、「神様は本当に助けてくれるのか?そんな力本当にあるのか?信じてもいいのか?」という疑問があるかもしれません。

その時、福音を思い出してみてください。

疑う理由なんてありません。神様は必ず誠実であります。言われる通りに約束を守ります。復活して死に勝利したキリストには、あなたを救うなら簡単です。そして、どんな今日でもあなたが乗り越えるように支えます。

そのために何が必要かは、信仰です。

信じて、跳躍してみましょう。

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