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8月 20, 2026 10:00am
不正な管理人
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Close-up of a person's hands typing on a laptop keyboard indoors. Soft lighting.

今から勉強する、ルカによる福音書にあるこのたとえがもっとも受け止めがたい1つです。

「放蕩する息子」のとたえは分かりやすくて、羊飼いが失った羊を見つけるたとえと女性が失ったコインを見つけるのもその嬉しい気持ちが納得いけます。しかし次の例えは、なかなか飲み込みたくありません。噓つきな男がその嘘で褒められるような話しですね。

騙されたい人なんていないけれども、現実は詐欺がたくさんあります。AIのようにテクノロジーが進化する度に詐欺がさらにずる賢くなります。そして引っかかると恥じと不安な気持ちでいっぱいになります。

私も前、注文した物が届くのを待っている時がありました。海外から荷物なんで、時間がかかると予想していました。ある日、SMSのメッセージが届きました。荷物は入国管理局が預かって注文した本人から確認が必要と内容でした。

その通り私は海外からの荷物を待っているから、考えずにリンクをクリックしてデビットカードの番号を含めて情報を入力しました。ですが、ボタンをクリックするとページがリフレッシュするだけで、問題があったかと考えてもう一度登録しました。何回か繰り返しでそうしましたが、その時に気が付きました。SMSメッセージの内容を検索してみて、

その結果によって詐欺だとわかりました。

いら立ちいっぱいで銀行に連絡してカードの利用を停止してもらうようにしました。幸いに、情報を盗んだ側がカードを使う前に対処できましたが、騙されたことだけでとても嫌な気持ちでした。

イエスが教えられる、ルカによる福音書16章1~13節のたとえ話は詐欺師とも呼べる人物の登場で始まります。おお金持ちの地主に勤める管理人はその財産で無駄遣いをしていました。この「無駄遣い」という意味になる原文の言葉は、放蕩する息子の無駄遣いを表す言葉と同じです。

全てを無駄にしている管理人でした。その主人の財産を使って自分の利益にする、いわゆる詐欺のような行動です。その影響で地主の台帳に怪しい箇所がどんどん増えてきます。

そして地主は知った時に管理人が盗んでいるんじゃなくてただ無能だけと思った可能性もあります。何にしろ、地主は管理人を解雇して、台帳を返すと命令しました。地主がどんな理解になっていても、管理人には時間が限られていたのです。

それに管理人が焦って、どうすればいいのか考えていました。肉体労働に力が足りなくて(「土を掘る力もないし」)、物乞いになるのも嫌でした。でも、早く何とかしないと大変な状況でした。

その管理人には、経った1つの得意がありました。それは、ずる賢さです。

それで次な計画にしました。地主に借金している人皆に台帳を持って、1人ずつ借金分を確認して、その一部だけ取りました。

これは主人のためじゃなくて、自分のためだけでした。もしかして、実際な金額より取ると、借りた側がいつか恩返しをするかと思っていたからです。そうすると、首になっても他の道があるはずです。一時的に助けてもらうようにいたら、その借りた側が断れないはずです。

もちろん、主人はこの企みに気づいたら見抜けました。管理人がやったこと全部丸見えでした。なのに、その賢さを逆に褒めました。不正な行動に対するんじゃなくて、迫る現実に対して知恵で準備することの誉め言葉です。

それからイエスは管理人が本当に首になったかどうか教えません。たとえ話の最後はただ、「この世の子らは、自分の仲間に対して、光の子らよりも賢くふるまっている。」だけでした。

それから、イエスは弟子に「不正にまみれた富で友達を作りなさい」と言いました。この箇所でたとえ話の意味が分かりにくくなりますね。まさかイエスは弟子が詐欺師になるように教えていたわけじゃないでしょう。

違います。

イエスも不正な管理人を褒めていませんでした。代わりに、管理人が手に届くところを使って準備したところを示していたのです。そのように、弟子もお金を使って周りの人を支えるべきです。不正な管理人がお金で味方を作ったように、弟子もその持っている分で周りの人にいい影響を与えるようにするべきという話しでした。

その理由は、

イエスが次に言うことにあります。「金がなくなったとき、あなたがたは永遠の住まいに迎え入れてもらえる。」

今の人生の中にある持ち物はいつか消えていきますが、どのように使うか永遠に残る影響になります。心を開いて親切に人を助けることでその人に影響があって、福音を見せるきっかけになります。

そして神様から頂いている分に管理する責任があります。家族も、家も、お金も、そして持ち物も。イエスは次にこう言いました。「ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である。」

つまり、弟子にお金のような一時的な物でも使って忠実を見せてほしかったのです。なぜなら、天国の福音がそれより大事なのですから。

誰も決めないとならない決断があります。誰または何を仕えますか?

イエスは、神様とお金を同時に仕えることができないと教えました。どれだけお金のために働いても、魂や永遠の命のためになりません。なので、他人のために使うべきとイエスが教えます。

自分自身から、神様を注目しましょう。そうすると、自然に他人を助けることもします。

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