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4月 27, 2026 10:00am
イエスが涙を流された時
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悲しみが必ず消えていくと言われても、経験する時は重たく感じます。イエスも世界にいた時、完全な栄光になることが過去にもあって、将来にまた現れると知っていましたが、それでも涙を流しました。
私たちはもちろん永遠に向けて進めればいいんですが、その真実に関わらず現在の痛みを無視するわけではありません。
イエスは悲しみを無視せず、直面しました。周りの人の嘆きを聞いて、冷たくしないで自分自身で慰めました。
イエスに病者や社会から追放された者を慰めては当然にその権利がありましたが、私は最近、その上にあることを知っておいていたと気づきました。
それは、「痛んでは意味がある」ということです。「今度からしないように」じゃなくて、私たちの創造者が与えるその創造者に対して望む気持ちを沸かすためです。今信仰でしか知らないがその内目で見える者に対して望む気持ちを。
もちろん、悲しみという落とし穴にずっといてはいけないのですが、落とし穴にいると認めることが決して悪くないというわけになります。そこにいる時、私たちは1人だけじゃなくて、助けと癒しを与えて下さる唯一の者が一緒におられます。そして、この真実によって他の人を慰める勇気ができます。
現実を認めずに無理に楽観的な視野になる人は、むしろ必要な癒しまたはその下さる者を逃したではないかと思います。
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