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8月 25, 2025 10:30am
知識が開けられないドアを愛が開ける
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「知識の前には気持ちがある。」

これは欧米のことわざです。あなたもその意味を体験したことがあるでしょうか。

相手から知識だけ与えられるとちゃんと聞かない場合もあります。言われることを無視して、「私のことなんて知らないくせに。私の人生は今まで苦労してきたことを全く知らないのによくそんなこというな。」と考えることあります。

しかし、その相手から自分自身が体験した同じ苦労の話をその後聞くと、なぜその知識が必要と思っているか私たちは分かってきます。

さらに、その人が寄り添って私たちが苦労していることに手伝い始めて、言葉でだけじゃなくて行動で気持ちを見せる場合もあります。

そこに共感、気遣い、そして愛をシェアしているのです。

パウロも教会の者に質問を答える時その現実を思い知らせたかったのです。

コリント人への手紙一8章1節
「しかし、知識は人を誇らせ、愛は人の徳を高める。」

パウロはクリスチャンの権利の話題で偶像に捧げた食べ物についての質問で始めました。

場面はこうなります。

今いる街は異教徒の街です。その住民は異端になる神に賛美を捧げて、神殿で動物の生贄を行いました。そしたら動物の肉を神殿から取って売りに肉やまで持っていきました。肉屋は従って市場で販売するのでした。ですので、市場で肉を買うものは知らずに生贄の肉を食べるのだったかもしれません。この問題は、使徒言行録にも記載があります。審議は新しい異邦人の信仰者はユダヤ人の法に従わなくてもいいと判断しましたが、偶像に捧げた肉を食べてはいけないという判断もありました。(使徒言行録15章20、29節)

パウロはその質問に答えたのは、まず福音を伝えるためには愛が必要ということで始めました。知識は重要ですが、伝える時に気を付けなければ私たちが偉そうに聞こえてしまう可能性があります。

私も時にその誘惑があります。真実をストレートに言い出したい時。聖書のどこに書いてあるから教えたい時。あなたは間違えているよと説教したい時。でも、その時もまず口を閉じて考えるのです。なぜなら…

相手は私の言葉を聞きたいですか?私がその人に知識を伝えたいだけじゃなくて確かな共感があると知らなければ、きっと私の言葉を聞きたくないと思います。私の教えたい気持ちは愛の元からでしょうか。

実は私は昔同じ立場でした。

神様のことを知らずに生きて、私が正しいと思い込んでいました。

その時、私に寄り添って愛と恵みを教えてくれる人がいなければいけなかったです。

私たちはこういう風に導いていますでしょうか。前に気持ちを伝えて。キリストの愛を見せて。神様のことをシェアして、目から鱗が落ちるようにしてあげて。

これこそ信徒者を作ることです。仲を作ることも含まれます。心の変化も含まれます。信徒者を作ることは、生活の中にそれぞれ神様の中に成長しながら愛し合うのです。

もっと知りたいですか?私は神様の知識で特別な者ではなくて、ただ神様の愛と人生を変えてくださることを体験して欲しいだけです。あなたにも役割がありますよ!あなたはそのために作られたのです!知りたくなりませんか?

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