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8月 29, 2025 09:30am
周りに反する人生
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「しかし、わたしはあなたのみ力をうたい、朝には声をあげてみいつくしみを歌います。あなたはわたしの悩みの日にわが高きやぐらとなり、わたしの避け所となられたからです。」(詩篇59篇16節)

牛の群れのように、社会はゆっくりでまっすぐ進むのです。その進む道の果たしに命がもらえると思っているからです。同じ案内に従って、同じ神を賛美して、同じ目的で生きます。

「しかし、わたしは」

ある人は、唯一になるまことの神を知りました。その主となる違う存在を賛美して、一つだけのミッションに誓いました。見つけたのは、というよりも見つけられたのは、神になる主であり、その圧倒的な力に抱きしめられて永遠の救いを体験しています。

ですので、その人は話す時に違う立場から話すのです。「私」じゃなくて「あなた」と言うことが多いです。ダビデも、「わたしは『あなた』のみ力をうたい…『あなた』はわたしの悩みの日にわが高きやぐらとなり…」と言います。

その立場から言う人は、安堵と平和を頂いている者です。神様は変わりなく唯一の神であり完璧で不足がない存在ですから。神様は約束を必ず守ると信じます。

私たちの信仰を見下して侮辱を言う相手がいても、私たち信仰者は喜びで「しかし、わたしは」と言えます。

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