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12月 08, 2025 10:00am
不釣り合いの軛に隠れる危険
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何より、クラスとして勝ちたかったのです。負けず嫌い子ばかりで、次のレースで勝つために3人の参加者を選ぶ決断がまずありました。

毎年学年末、学校の教職員はゲーム、アクティビティ、競争、そして学校の改善企画がある日を行いました。「ナチュラルハイデー」と呼ばれました。私もその名前がよくわかりませんが、まぁいいでしょう。

当時私は中学校一年生でした。その学年、アンドリューという転校してきた子がいました。彼が初めて学校に来た日、よく覚えています。ハロウィンの日でした。クラスの私たち全員はコスチュームを着ていたから、きっとアンドリューにとって変な様子でした。

アンドリューはかなり目立つ子でした。その理由一つは赤毛だったけれど、それより大きい理由がありました。

中学生のアンドリューは、身長が180センチを超えていたんです。

私だって、まだその時122センチくらいでした。大違いです。でも男の子を含めて、皆より断然に背が高かったですよ。

レースの話しに戻ると、アンドリューを選ぶのが当たり前でした。運動神経がよくて背が高い子だから勝つに決まっているように見えました。私も、足が早かったです。当時(そして現在も)背が低いですけれど、走るのが得意でした。力合わせて、きっと無敵になるはずです!

ですが、二人三脚では、私たちがペアになるのだったらめちゃくちゃです。

想像通り、彼は私よりよっぽど背が高いから、私に足並みが揃うなんて無理です。アンドリューが一歩を取るたびに、私なら3、4歩を取る必要があるはずでした。足を結ぶとしたら、私が引っ張られっぱなしで進なんてしません。真っ直ぐに歩きさえ不可能なはずです。私は彼の左足首に死荷重のようになります。ぐるぐる回るばかりなはずです。

何のためにもなりません。

コリントの信徒への手紙二6章14節では、「信仰のない人々と一緒に不釣り合いな軛につながれてはなりません」と書いています。

パウロはコリントにいる信徒者に手紙としてコリントの信徒への手紙二を書きました。「軛」(くびき)とは、農業から来る言葉でその信徒者も経験あった者です。

ですが、軛は実際に何でしょう?

農業の仕事のためにペアになる動物を繋げるための木版です。例えば、背に鋤(すき)を付けて動物を通して土を耕してから種を埋める仕事です。農家は1人ならでききれないので、代わりに一番強い牛2頭を選びます。それはもちろん、体大きい牡牛と比べて小さい牝牛にすることはありません。なぜなら、不釣り合いの軛になるからです。力がある牡牛が牝牛を引っ張ってしまうことになります。そして、列が斑になります。結局回ってしまって、仕事が終わりません。

そのように、パウロは信徒者に誰と関係を作るか注意すべきと教えました。結婚も、ビジネス関係も対象になる言葉です。

なぜでしょうか?

聖書を見ましょう。

「あなたがたは、信仰のない人々と一緒に不釣り合いな軛につながれてはなりません。正義と不法とにどんなかかわりがありますか。光と闇とに何のつながりがありますか。キリストとベリアルにどんな調和がありますか。信仰と不信仰に何の関係がありますか。神の神殿と偶像にどんな一致がありますか。わたしたちは生ける神の神殿なのです。神がこう言われているとおりです。

『「わたしは彼らの間に住み、巡り歩く。
そして、彼らの神となり、 彼らはわたしの民となる。
だから、あの者どもの中から出て行き、 遠ざかるように」と主は仰せになる。
「そして、汚れたものに触れるのをやめよ。そうすれば、わたしはあなたがたを受け入れ、
父となり、 あなたがたはわたしの息子、娘となる。」全能の主はこう仰せられる。』」

コリントは、偶像を讃えるところが多い町でした。パウロには神様の信徒者が偶像を讃える人と結婚するとどうなるか予想していて、旧約聖書にたくさん書いてある話しのように、信徒者の方がひどい目に合う結末が必ず待っています。

神様から離されて、相手と偶像を賛美することになります。

さっき話した不釣り合いの軛の牛、そして私とアンドリューの組みたいに、勝ちそうにありません。めちゃくちゃです。

だから、今の話しはどう捉えればいいでしょうか?

神様を信じない人と関わりもしないこと?そうすると、どうやって福音を伝えますか?これが決してパウロの言いたいことじゃないです。もちろん、イエス様のことを信じていない人に伝えるべきです。軛の話しは、結婚とビジネス関係に関するのです。

そしたら、神様を信じる人がもう信じていない人と結婚しているのであれば、離婚しないといけないわけでしょうか?

それも違います。パウロは、コリントの信徒への手紙一7章12-13節で既婚の2人に1人が信仰になる場合、関係を守ると促します。相手も救われるように祈り続けて神様の光を照らすようにすること。言うこととすること全てにイエス様が見えるようにするべきです。

ちょうど、独身2人で1人が信徒と1人が不信徒、結婚することに対して注意していたのです。結婚の中にも、一番重要なのはキリストをによる約束を守ることです。なのに、1人が信徒じゃないのだったら、信仰のところが間に問題になって仲にヒビが入る可能性が高いです。

私たちにとってキリストとの関係が最も大切なのなら、その関係が守りたいことも当然でしょう?

同じ箇所で、パウロは私たちが神の神殿とも言います。私たちの中には聖霊がおられます。私たちが教会であります。そして私たちが教会なら、表側の「看板」にどんなメッセージを出しているかも、意味があります。

もちろん、私だって分かりますよ。この世にいる内には、罪から完全に抜け切るなんてできません。社会から離れて、罪になる人や物事から自身を100%で守ることが不可能です。ですが、人生の歩みの中、私たちが誰か、そして誰のかを覚えていきましょう。罪から逃げるばかりじゃなくて、神様に近づくのも必要です。

毎時、其方が必要。

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