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私の友達ジョンならよく知っていることなんですが、
私は教わったことに対して最初から信じていても自分で見ないといけない性格です。なんでもに結論までの理屈を確認しなければいけない癖です。なぜかというと、最初から最後まで自分で把握しなければわからないままだからです。そして場合によって、表など目で見える説明を作ってもらわなければいけないこともあります。
ライフワードでFOLLOWの弟子訓練ポータルを作っていた時期も毎日そうでした。ジョンはIT系が得意なので考えずに進むことができます。なのに、私の困っている表情を見て一回途中で止まることはよくありました。
「最後はどうなる?」「例を教えて。」「どうやってそうできるの?」「一歩ずつ説明して。」「本当だと思うけど、自分で見ないとわからない。」など。
実は、キリストについていく私たちは聖書と教えに対してなる姿勢が同じのはずです。
テサロニケの信徒への手紙一5章20~21節
「預言を軽んじてはいけません。すべてを吟味して、良いものを大事にしなさい。」
テサロニケの信徒への手紙で、最後に指導を伝えました。
喜ぶこと。常に祈ること。どんなことにも感謝すること。聖霊に従うこと。
そしてここで、言われることを考えずに見下すのじゃなくて、真理に基づくかどうか試すこと。よく検討して、その言われたことが真実に合っているか探すのです。
その方法は、まず聖書を勉強するのです。そして牧師などの人に言われることを聖書の教えに比べて確認します。
私ならただ伝えるだけで終わりになってほしいわけじゃないです。なぜその結論になるか深くまで見せたいのです。なぜそう信じるかと聞かれた時、次の答えの中でどっちが良いでしょうか?
「最初からそう教わったから」
か
「聖書を勉強する中にこっちの箇所でそう書いているから。」
現在はどんな人でもSNSなどで声を広げることができます。そして残念ながら、皆は自分の益になる計略もあります。こんなに声が周りにあることは、常に知恵をもって気を付けなければなりません。毎回言われることを聖書の教えに比べるようにしましょう。
ですが、あなたはどうやってそうするかわからないのであれば、その方法を確認しましょう。
始めに言われたことを考える
はっきりとどんな主張になるでしょうか?
否応の前には、ちゃんと把握できているかどうか確認すればいいんです。そのためなら書いてもいいです。感情や相手の性格、その説得力を抜いて、言葉だけ考えるのです。
主張は聖書が教えることと一致していますか?
聖書を開いて
その次は関係の聖書を探すのです。
相手が引用にした箇所だけじゃなくて、その周辺の箇所も読んでみてください。話す人は誰ですか?その相手も誰ですか?場面は何ですか?
文脈がわからない聖書なら本当に教えていることと全く違うように見せかけることが可能です。
聖書を見比べる
信仰を分離した聖書一箇所だけで作っては危ないです。
聖書の他のところならどう教えますか?聖書の中に矛盾になる箇所がありません。だから、聖書を知れば知るほど教えに合わないことを気づくことができます。
質問を聞く
質問することはちっとも悪くありません。
「聖書のどこがそう教えますか?」
「この箇所は本当にそういう意味になりますか?」
「私の意見に合うように解釈していませんか?」
「この箇所を補足する聖書が他にありませんか?」
質問は信仰の反対じゃありません。むしろ聖書をより深く理解するためになります。
良いものを大事にする
これはパウロが出す言葉の結論です。
全てを試して、その残る良いもの全てを大事にすることです。
最終的にあらゆる牧師や教える人、ソーシャルメディアで投稿するクリスチャンや友達、全員を疑うんじゃなくて、聖書を詳しく知ることによって真理の見分けができるようになるのが目的です。
フォロワー数が多い人がいうだけあって信じるのはしません。
代わりに聖書を開き、
中身を読み、
教えを覚え、
学んだことで聞く言葉を試します。
そうすると、自分が信じていることが聖書に位置していると確認できると「最初からそう教わったから」より強い元になります。
「自分で確認した」という元。
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