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「父さんがまだいたらな…」
誰でも、父親に認めてもらいたい気持ちがあると思います。
子供の頃には、「パパ見て!」を何回も声かけてまた凄いことを見せようとして、段々大きくなる中、学校の成績や賞を見せて「よくやったな」と言ってもらうようにしますね。
でも、必ずいつかパパが亡くなります。
私のお父さんが亡くなった日は、私の心に穴ができたような気持ちになりました。中がとてもよくて、お父さんが天国にいると分かっていたが、それでも悲しみが重かったです。
今も、毎日私は「父さんがいたらな」と思うことがあります。
孫に会うため。
私の家族を見るため。
農場で過ごして犬の世話に手伝うため。
ライフワードでの働きを見るため。
娘が夢の叶った生活を送っているところを見るため。
私は今43歳だけど、いまだにお父さんに認めてもらいたい気持ちがあります。
でも、それよりさらに強い気持ちがもう一つあります。
「何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心から行いなさい。あなたがたは、御国を受け継ぐという報いを主から受けることを知っています。あなたがたは主キリストに仕えているのです。」(コロサイの信徒への手紙3章23~24節)
心から行うこと。
つまり、全てをささげて行うことです。息も、心の全ても。
これこそ、人生の流れになっているはずです。神様に認めていただくためじゃなくて、すでに神様の者であるだからです。私たちはキリストを通して愛と恵みと守りを得ています。そして天国の子供になっているから、人生を賛美にしたいためです。
もちろん人生の中には悲しむことがあります。
仕事の応募が落ちたこと。
もらえなかった昇進。
他人が得る賞。
スポーツチームの一員にならなかったこと。
関係がない人が被る冠。
言われなかった褒め言葉。
また、人生をかけて世話を頑張った子供が「ありがとう」と言わないこと。
それでも、生き続けましょう。
歩み続けましょう。
仕え続けましょう。
愛し続けましょう。
そしてその全部、心から行います。
主へのささげもので。
人の誉め言葉が目的だと、悲しむ結末だけが待っています。人に認めてもらうのは思う通りにいかないことが多く、すぐに消えてしまいます。
ですが、父なる神は誠実な行動全て見られております。
静かな犠牲。
服従の決心。
心からの贈物。
そのご計画に参加する機会。
そして、愛による行為。
そのことによって私たちの人生が甘い香りのようになります。
そのことで、神様の栄光をささげます。
そしていつか、ただ1つの誉め言葉が残るのです。
「忠実な良い僕だ。よくやった。」(マタイによる福音書25章23節)
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