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7月 13, 2026 10:00am
浮標を超えて:深海で神様を信じる
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Yellow buoys floating on tranquil water reflecting the sky, creating a serene atmosphere.

小さいころ、私はよく家族と一緒に国立公園で過ごしました。その中、湖があるところは一番多かったです。ウオータースキーやチュービングもして、その以外にはただ船に乗って他の客から離れるなどしました。船の端から手を伸ばして水しぶきを触ろうとしたり風に顔を向けたりして、ジェットコースターのような乗船から降りる時髪がいつも絡まっていました。ガソリンと水が混ざる香りだけでも心がほっとします。グループの皆が一緒に乗れないくらい多くなったこともあります。休憩の時、テーブルでご飯食べることも、水泳場で泳ぐこともしていました。

水泳場といえば、安全な範囲を示すマークがあります。船が入らなくて、あまり深くなりません。その境界は浮標と繋がるウオータースキー用の紐でできます。

私は、境界を超えるのが好きでした。

背が低くて、割と上手に泳げられると言っても境界を超えるのがスリルになりました。なぜなら、足が届かないところまで行って、お父さんやおじちゃんなど背が高い人がいないと戻るまで安全じゃないのが好きでした。

4年前からは、私に健康の問題が結構あって長く続くのもありました。その影響で大変な時期を過ごしています。

特に発作が酷く、お医者さんとそのためのお薬について話しています。ですが調節する度に、体が慣れるまでは時間が掛かります。その間、酷い疲労になります。

最初の何週間か日常的なタスクでも苦労して、圧倒される気持ちになります。本当に生活するのも無理のような気持ちです。

その調節の時期のある一週間の間、私は家事を頑張ることにしました。洗濯物の折りたたみの中、讃美歌のデボーションの内容を聞いていました。その日の讃美歌は、海がテーマです。境界を超える信仰と溺れない見守りの歌詞で、私はとても真剣な内容になると思うから歌う前に真面目にそう祈るようにします。気軽に言うことじゃありません。

それから、歌詞は神様に抱きしめていただいて魂が休息を得るという内容があります。

私は聞くと、小さい頃の水泳場の境界を超えることや今の健康の状態を考えます。過去に歌った時の想像した境界は今と完全に違うでしょう。世界の遠い場所などじゃなくて、私が今いるところや家族の中でキリストに従って誠実に暮らすことです。

神様は、船に乗って風や水しぶきを楽しむような楽な時にも、もちろん溺れそうになっている大変な時にも共にいてくださいます。そして足が届かない時は父なる神の肩を掴んで、安全まで背負ってくださると信じることもできます。

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