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子供の頃、私の弟はとても血を怖がりました。ただのケチャップでも、彼は一度血と思ったらつい叫ぶのでした。
血は痛みと死を象徴します。それで多くの人が気持ち悪くなります。
私は聖書や讃美歌の中に血の箇所に触れるとそのことをよく考えた記憶があります。
「罪重荷を除くは血の力」や「イエスキリストの血潮のほかなし」などを歌うと、私はその時「血なんて考えたくもないのに」と考えました。
なぜなら、私に取って血は痛みと死の象徴だからです。
痛いことじゃなくて嬉しいことを考えたいのです。
ですが、実その「痛いこと」を通して赦しと贖いが可能になりました。
エフェソの信徒への手紙1章7節
「わたしたちはこの御子において、その血によって贖われ、罪を赦されました。これは、神の豊かな恵みによるものです。」
私たちのためにキリストは血を流しました。
この言葉で、イエスが私たちのために死んで、すべてを委ねて犠牲になったと教わります。でも、なぜその犠牲が必要とするか理解するためには、まず旧約聖書を読まなければいけません。
アダムとイヴが神様に逆らって罪が世に現れた時、その2人はイチジクの葉っぱで体を隠そうとしました。でも、その隠すことが完全じゃないです。あくまでも一時的なものでした。代わりに神様は罪のない子羊を使って、アダムとイヴのために生贄にして、覆いを作りました。有罪者のために無罪の血を流さなければなりませんでした。
こういうのは、キリストも私たち皆のために成し遂げたことです。
使徒ヨハネは必要な犠牲になる救い主として受け入れました。
ヨハネによる福音書1章29節
「その翌日、ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。『見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。』」
私たちの罪に払うために命を捨てる子羊です。
ヘブライ人への手紙9章12節
「雄山羊と若い雄牛の血によらないで、御自身の血によって、ただ一度聖所に入って永遠の贖いを成し遂げられたのです。」
ということで、どうすればいいですか?
イエスを信じて、その犠牲を受け入れるのです。そして、それから彼のためになる人生を送るのです。
ペトロの手紙一2章24節
「そして、十字架にかかって、自らその身にわたしたちの罪を担ってくださいました。わたしたちが、罪に対して死んで、義によって生きるようになるためです。そのお受けになった傷によって、あなたがたはいやされました。」
「罪 重荷を除くは」の歌詞はこうです。
「罪 重荷を除くは
血の力 主の血は
悪魔の業をこぼつ
奇しき力なり
力ある主イエスの血 受けよ 受けよ
力ある主イエスの血 受けよ 今 受けよ」
血は痛みと死を象徴することもありますが、命も象徴します。イエスは、あなたが永遠に生きるようにご自分のを流しました。
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