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8月 06, 2025 11:00am
使徒の刺激的な文章
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今まで一番恥ずかしかった経験はなんですか。私はある夜、家族と一緒にゲームをしている間にこの質問が聞かれました。答えを考えて、教えないで皆に当たってもらうゲームでした。すぐに、誰でも分かると思ってとても恥ずかしい覚えが浮かんできました。しかし、家族は他に恥ずかしい経験ばかりで当たってみました。私は何回も恥ずかしい経験があるようです。

あなたはどうですか?私と同じだったら、恥ずかしいことや恥になることが今まであって、何より忘れたいのでしょう。その恥ずかしい思い出がばれて広がったらとにかく嫌です。しかし、イエス様の使徒は自分の恥ずかしいことを広げることこそしました。彼らが書き残した福音と聖書には、自身にも他人にも恥ずかしいことが含まれています。

子供を追い返すことでイエス様に叱られること(マタイによる福音書19章13‐14節)。
たとえ話を理解できないことによってまた教わること(マルコによる福音書4章13節)。
誰が最大になるか傲慢で喧嘩すること(マタイによる福音書18章1‐4節)。
恐れて信仰を忘れること(マタイによる福音書4章40節)。
イエス様の最も必死な時に眠ってしまうこと(マタイによる福音書26章43節)。
ペトロはよく空気を読まずに発言することも、3回キリストを否認することも、イエス様にサタンと呼ばれてまですること(マタイによる福音書16章23節)。
ヤコブとヨハネはサマリヤ人に天から火を落とすと提案したことでイエス様に𠮟られること(ルカによる福音書9章54‐55節)。
イエス様が十字架にかけられた時、使徒は恐怖と疑念で逃げること(マタイによる福音書14章50節)。
イエス様は復活の最初の目撃者として使徒じゃなくて女の人を選ぶこと(マタイによる福音書16章9節)。
イエス様の復活の後でもトマスは疑うこと(ヨハネによる福音書20章24‐25節)。
初期の教会に喧嘩がよくあること(使徒の働き6章1節、ピリピ人への手紙4章2節、コリント信徒への手紙一1章10‐11節、ガラテヤ人への手紙2章11節)。
新約聖書の書物13つの作者であるパウロは、自分自身が聖人の最下(エペソ人への手紙3章8節)、使徒の最下(コリント信徒への手紙一15章9節)、そして最大の罪人だと書きました。
聖書の批判者はただ人間が書いた偽の本と言います。また嘘だらけの作り話と言う人もいます。使徒が名誉を得るために福音を書いたと考えもあります。そのつもりだったら大失敗です。聖書を書くことが使徒の被害になりました。恥ずかしいところが広がるだけじゃなくて、すべてを失ったのです。

人はよく見えるために嘘をつくことがあります。自身に最良な印象を作ることが自然です。ですが、友達と協力して自分が悪く見える嘘を唱えると誰がそのことをするんですか?

使徒は真実に聞こえる作り話を作る計画のだったら、上のところも含めるのでしょうか?新約聖書はただ新しい宗教を起動する作文だけだったら、もっと魅力的に書かれるのでしょうか?実際に、聖書には使徒の不信仰、無共感、不器用なところがよくあります。福音を伝えることで追い出されるところ、叩かれることろ、牢屋に入るところ、そして死刑されるところも書いてあります。

この話によって歴史が変わりました。そして今でも人生を変えます。天国からの真理の話で、聖霊が伝えて人間が書いたものです。話を知っている人には、どんな恥ずかし気でもどんなコストでも伝えるべきです。

パウロが言うように私たちも「わたしは福音を恥としない。福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。」と言いますか?(ローマ人への手紙1章16節)

Copyright © 2025 by Kimberly Williams, KimberlyWilliams.org. Used with permission. No part of this article may be reproduced or reprinted without permission in writing from Lifeword.org