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「わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる. . . 」コリントの信徒への手紙一13章12節
開幕というのは、舞台のように何かが始まるイメージがとても強いです。楽しい話しになるか、悲しい展開になるか、何になるとしても、幕が開いたら直面するしかありません。
オッズの魔法使いという話しでは、その恐れる魔法使いが結局、カーテンの後ろに隠れる普通の男の人だったという展開があります。登場人物皆は凄い者と思ったら違ったのです。幕が開いて、真実が目の前にありました。
私たちの人生もよくそうなりますね。
誰かとの関係、生活の状況、夢でもその中に何かが始まる時、開幕すると思ったと違う結末になります。楽しい話しになると思ったら. . . 結局悲しむ話しになります。長い話しでいっぱい楽しめると思ったら. . . すぐに終わってしまいます。話しで心がいっぱいになると思ったら. . . 逆に心細くなってしまいます。
人生の中に、がっかりする展開がたくさんあります。
ですが、天国は決して違いますよ。
聖書がこう言います。
目が見もせず、耳が聞きもせず、人の心に思い浮かびもしなかったことを、神は御自分を愛する者たちに準備された」コリントの信徒への手紙一2章9節
今、私たちは天国がはっきりと見えません。どんな場所になるか想像もつきません。この世にいる内、説明があっても理解できないでしょう。聖書がいうには、「鏡におぼろに映ったものを見ている」のです。見えてはいますが、ぼやけてよくわかりません。約束されたのは本当ですが、その果たしの全部がまだ見えません。幕の前に立っていて、その後ろに何かすごいのがあると考えるようです。まだ通れませんが、いつか幕が開きます。
私に友達がいて、その人の兄弟に目が見えなくなる病気があります。毎年、段々視野が弱くなって、見える物事がぼやけてきます。ですが、その人は今でも教会に通って、喜びで説教を聞きます。祈祷会にも参加して、讃美歌を歌って、そして神様を信頼する人です。目が弱くなっていても、信仰は強いままです。
私たちにとって見るのが当たり前ですが、彼はそうじゃなくなっています。
でも、いつかの日に. . . 幕が開きます。
その日、彼の視野がぼやけているなどじゃなくて、一部だけ見える状態などありません。鏡におぼろに映ったものを見ているような状況じゃないです、その時。代わりに、「完璧に」見えます。
彼も、私たちもそうなります。
「命の道を教えてくださいます。 わたしは御顔を仰いで満ち足り、喜び祝い 右の御手から永遠の喜びをいただきます。」詩編16編11節
なんという素晴らしい日になるでしょう。
ですが、今でも聖書によってちょっとだけイメージができます。
「彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない. . . 」ヨハネの黙示録21章4節
病気もなく。
苦しみもなく。
悲しみもなく。
孤独もなく。
見えない目もなく。
葬式もなく。
別れもなく。
そして、悲しむ話しもなく。
天国では、開幕の時に「あ. . . 思ったと違う」ということはありません。キリストの御前で跪いて「想像したより偉大」と賛美するだけです。
いつか、鏡がなくなって、
幕が開いたままになって、
私たちは信仰じゃなくて視野で歩みます。
「だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。」
イエスに対面して、
その傷の手を見て、
王の食卓で座ります。
今の世では決してわからないことがその時分かります。
今の人生は、開幕の時がっかりや悲しみになる場合が多いです。でも、キリスト者には、心が悲しむんじゃなくて満たされる最後の開幕が待っています。
なので、この世に悲しみがある時. . .
わけが分からないことがある時. . .
開幕が希望じゃなくて痛みになる時. . .
その時覚えていきましょう。その時の開幕は最後の開幕じゃないですと。
まだ最高な開幕が待っています。
そしてついに天国の幕が開く時、期待に応えられないものには決してなりません。絶対、想像より断然に良いものが目の前にあります。
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