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3月 11, 2026 10:00am
私は動揺しません
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「お母さん、正直に言うと、信仰が動揺したよ。」

私はその言葉を聞いて、心が重くなりました。社会人の息子と、最近だんだん暴露している悪の行為について話しているところでした。彼は、その悪に応えて人が動き始めたとも教えました。政治的な活動じゃなくて、様々な立場の人が目覚めて狙われたり、虐待されたり、買収されたりする人に対する正義を要求していることです。様子を見るだけで悪が溢れていると気づくはずです。そして、その影響は強い信仰がある人でも神様に疑問することがあります。

なんで神様はこんな悪を許すのか?なんで子供まで苦しまなければならないのか?なんで最も罪のない者が最初の息をする前に殺害されなければならないのか?なんでクリスチャンは信仰を持つだけで迫害されたり皆殺しされたりしなければいけないのか?なんで虐待、暴力、拷問、残酷さがあるのか?この悪に対する疑問をするのは当然です。神様は存在全ての主権者ですから。遥か昔からの疑問ですが、実は答えがとても簡単ですよ。全ては人類が罪に落ちて世界にも罪を現わさせた時点が生まれました。言うのが簡単な答えですが、実際に呪われた世の中に生きるのがよく大変で納得しがたいことです。

でも、なんで神様はまだ解決していないのでしょうか?罪という現実の中に進む中、すでに対応していただいていることを覚えていきましょう。神様はイエスを送ってくださいました。イエスはこの世におられて、罪を一回も犯さないで人生を送って、犠牲として自分の命を捨てて、全世界の罪の負債を払うために復活しました(ヨハネの手紙一2章2節)。そして、私たちが目で見えなくても、神様は神を愛してご計画に従て召された者に全てが益になるように働いてくださいます。疑問になって今すぐ正義があるように訴えるのが当然ですが、神様が時間の外におられることを忘れてはいけません。始まりから終わりまで全てを知って、嘲笑いの対象には決してなりません。「神は、善をも悪をも 一切の業を、隠れたこともすべて裁きの座に引き出されるであろう。」(コヘレトの言葉12:14)

罪、苦しみ、不正に直面するのは、私たちで始めてじゃないですよ。呼ぶ、アブラム、モーゼなどたくさんの人も神様に疑問しました。詩編の中にも、助けを求める声と正義を求める祈願がたくさんあります。ダビデは気持ちと疑いをそのまま神様にささげましたが、毎回毎回神様に悲願する結果、彼の信仰が強くなりました。詩編62編にはこう書いてあります。「わたしの魂よ、沈黙して、ただ神に向かえ。神にのみ、わたしは希望をおいている。神はわたしの岩、わたしの救い、砦の塔。わたしは動揺しない。 わたしの救いと栄えは神にかかっている。力と頼み、避けどころとする岩は神のもとにある。民よ、どのような時にも神に信頼し 御前に心を注ぎ出せ。神はわたしたちの避けどころ。〔セラ」

祈り
私たちは悪に直面する時、最初の反応として祈るべきです。するべきのように祈るのだったら、絶えず祈っているのです。(テサロニケの信徒への手紙一5:17)神様はご自分の者の祈りを聞いてくださって、思い煩いを任せるように使命されました。(ペトロの手紙一5:7)祈りの中に力があります。だからこそ、私は跪いて正義のために祈るのです。被害者を覚えて祈って、そして自分自身の信仰が強くなるように祈ります。勇気をもって迫害や不正に反対できるように祈って、主がすぐにこの世に戻られるようにも祈ります。

守り
私たちは暗闇の世界に生きているので、注意を払わなければなりません。神の子は知恵で足元や道を常に見張らなければなりません。「時をよく用いなさい。今は悪い時代なのです。」(エフェソの信徒への手紙 5:16)誰かを食い尽くそうと探し回っている敵がいます。(ペトロの手紙一5:8)その敵は人生も、家族関係も、教会も破壊しようとしています。旦那は家庭を守るべきです。両親は子供を守るべきです。牧師は教会を守るべきです。もちろん簡単なものじゃありません。大変なほど努力、祈り、犠牲、そして神様からの知恵が必要です。

支え
神様の存在について証しになることがたくさんあります。その1つは道徳です。無神論者でも、人間皆が正義を求めるように内なる何かがあります。でも、その何かで信じていない人には矛盾があります。神様が存在しないなら、道徳はどこから来るのでしょうか?善悪を見分ける感覚はどこから来るでしょう?周りの人から来ません。歴史を見ると、社会が正義、科学規則、真実を数えられないほど回数あります。従って、悪の存在こそが神様の真実をあげるチャンスです。私たちのミッションは、その真実を広げるのです。福音が最終的な答えで、イエスが唯一の希望です。

友よ、疲労になる時は、全てが解決になる日が必ず来るという真実で安息しましょう。痛み、苦しみ、嘆き、涙が一度もない日がいつか来るんです。その日まで、全てを知っている者を信じて待ちましょう。熱心に祈って、弱者を守って、周りの人に福音を伝えることで神の光をこの世に照らす機会を常に探します。

そして最後に、地獄の全力があなたにかかる時も、山々が揺れる時も、足元の地面が動揺する時も、あなたは倒れないことを覚えてください。神の力を基にして踏ん張りましょう。悪魔の企みを反対して、私たちの上におられる石に立ちましょう。そしてダビデのように宣言しましょう。「神こそ、わたしの岩、わたしの救い、砦の塔。わたしは決して動揺しない。」(詩編62:2)

Copyright © 2025 by Kimberly Williams @ www.kimberlywilliams.org No part of this article may be reproduced or reprinted without permission in writing from Lifeword.org.