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3月 24, 2024 08:46am
神の義となる
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あなたが空が青いように常識的なことを言っても喧嘩してくる人と会ったことがありませんか。

その人は必ず自分が正しいと思っているようです。正しいと思う方向しかないような考えを持っていますね。行動も全てが正しいと思って、他の意見などを聞きません。

本当は違う時でも。

私にはこのような知り合いがいます。というより、認めにくいのですが私がこのようになることがあります。
私だけではないでしょうね。

誇りにはなりませんが、こんな行動がよくある人達も他にいます。それはパリサイ人達でした。

「ヨハネの教えを聞いた人はみな、取税人たちでさえ、神の正しさを認め、バプテスマ(洗礼)を受けました。ただ、パリサイ人と律法の専門家だけが受け入れなかったのです。彼らはあつかましくも、神のご計画を退け、ヨハネのバプテスマを拒否したのです。このような人々のことを、どう言ったらいいでしょう。まるで遊び友達に文句を言っている子どものようです。『結婚式ごっこをしようって言ったのに、ちっともうれしがってくれないし、それで葬式ごっこにしたら、今度はぜんぜん悲しがってくれない』と嘆くのです。つまり、バプテスマのヨハネが何度も断食し、生涯、酒も飲まずにいると、『彼は気が変になっている』と言い、わたしが食事をしたり、ぶどう酒を飲んだりすると、『あいつは大食いで大酒飲み、一番たちの悪い罪人どもの仲間だ』とののしります。けれども、神の知恵の正しさは、神を信じる者たちが証明するのです。」

ルカによる福音書7章29~35節

この箇所は何の意味でしょうか。パリサイ人達は洗礼者ヨハネとイエス様に咎めていましたが、不徹底でした。自分が向いてる方向だけあって正しいと思っていました。その考えと習慣に問題が出ると大変怒りました!自分の道が正しくて他の道が悪魔の方向といつも見せようとしていました。

実は、偽善がバレることが好きじゃなかったです。

イエス様がパリサイ人に最後に言ったのは、「神の知恵の正しさは、神を信じる者たちが証明するのです。」これは神様を信じる者が認められるという意味です。パリサイ人はこの世で演じるが、必ず真実が出てきます。その時、パリサイ人が裁判されます。

今朝、私の頭の中にある質問は、私の知恵が神様のと同じかどうかというのです。

私の人生が自分のわがままで行動するではなく、神様に仕えるのであってほしいです。行動と言葉に言い訳を付けず、イエス様とその犠牲に救済を頂きたいだけです。
今日は、その自分が正しいという考えとわがままで行動することを捨てましょう。主の御前で土下座をして、心を見せましょう。神様が正義と事実で導いてくださるようにして、それで知恵を合わせましょう。

自分が正しいという考えだけで生きたくないです。それはパリサイ人の方向です。

神様の義になりたいです。イエス様に通る方向で、それこそ正しいです。

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