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1月 28, 2026 10:00am
渇する男の告白
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家族からも、友達からも離れっぱなしでした。一番大切な人に裏切られた男です。殺そうとする人から逃げる中、砂漠を通って一人ぼっちの気持ちでした。心の中に怒り、苦痛、そして孤独さと葛藤になりました。

そして、喉が渇きます。

ただの少年で羊飼いとして働いていた頃に神様に出会って、自分の良い羊飼いとして知りました。その良い羊飼いは青草の原と憩いの水に休ませる者です。彼は羊飼いを信頼して、自分の羊をライオンや熊から守り切りました。数年後にも同じ信頼で勇気をもって巨人ゴリアトに立ち向かいました。そして現在、彼は洞窟に隠れて良い羊飼いからご臨在と救出を頂くと魂が飢えていました。

その渇愛をささげるために状況について書きましたが、書いた言葉が彼の人生を超えて同じように渇する時期にいる無数人も励ましになるとは彼は知りませんでした。そして良い羊飼いが渇愛を使って心を鍛えるために使っていることも知りませんでした。

この告白の文章には、失った物事を中心にするのはありません。その代わりに、作者は神様にだけ注目しました。故郷から遠く離れる砂漠の中にも神様を賛美して忠実な愛に感謝をささげました。一夜神様と御言葉を考えて神様が守ってくださった時を覚えました。そして最後に、神様に裏切った者を扱うと信頼すると強く宣言しました。

このダビデという渇する男が告白する言葉の中に、超自然的に真の平和を感じました。現状は何も変わっていませんがダビデの視点が新しくなりました。神様が共におられるからこそ何が待っているとしても彼は立ち向かうことができるとわかりました。

この告白はその後、聖書の詩編63編になります。

そして2000年後、私も渇愛の時期の中に呼んで励まされました。

母親になったばかりの時、思いがけない時期が突然来ました。その時、旦那と一緒に信仰についてもっと真面目に考えようと頑張っていました。何年も教会から離れるあげく、好きな教会を見つけて通い始めました。私はバイブルスタディや日曜日の説教を吸収してさらに学びたくなりました。それから福音書を読み始めて、その結果心が燃えました。私は長年クリスチャンだったけれど、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネが書いた内容でイエスのことを愛し始めました。

そして私の主に対する愛が人生の中一番強くなった時、私はずっと持っていた懸念が目の前に現れました。その時期は私が経験した一番大変なの1つで、私だけじゃなくて私の家族まで影響になりました。その時まで存在すると知らなかった霊的な闘いを直面して、夜中の出来事や鮮明な悪夢もありました。私は寝る時に何が起こるか恐れる影響で夜とその暗闇が怖くなりました。

頭が狂っているかと思いました。

私は神様に疑問して、助けを求める声をあげました。日常が恐怖ばかりでした。ダビデが書いた詩編63編や数えられない編のように、私は絶望していました。ある日、私は帰り中で神様に苦しみが終わるように必死な祈りをすると、小さな声が聞こえて視点が完全に変わりました。「アンバー、闘え。闘わなければならないのだ。鎧を付けて、闘え。」

そこで私はついに納得できました。神様を信頼してその懸念に立ち向かうまでこの時期が終わりません。そして競争魂になって、被害者じゃなくて勝利者になると決心しました。その日から、私は闘いました。詩編63編のダビデのように、私は神様の御言葉を勉強して常に考えるようにしました。ダビデの詩編から聖句を覚えて、剣にしました。そして子供に悪夢で起きる時に言える聖句いつかも教えました。

夜も昼も祈りと聖霊からの剣で私は闘いました。

すぐにその時期が終わって二度と戻らなかったと言えたらと思いますが、そうでもありません。私が望んでいた救出はいっせいに来たわけじゃなくて、毎日毎日声を出して、祈って、そして御言葉にしがみつくことによって少しずつ訪ねてきました。ダビデのように、私も自分に真実を伝え続けました。そして倒れそうになったところは、神様から私を励まして私のことを祈ってくれる人が来ました。

その時から15年が経ちましたけれど、私は振り返ると時期があった理由がはっきりと見えます。私の心は治療を受けていました。神様が自分のように私の心を変えてくださいました。主は愛と親切から私に、より深い関係になる邪魔をする私の心の様子を見せてくださいました。そして、私が自分のために闘うのが難しくても、子供のために必ず闘うから子供まで影響があると許しました。私の信仰の真性を試す必要がありました。谷の中に私は何回も脚が躓いたが、そこに神様の忠実さを経験しました。時には右手で私を導きました。別の時には指さして「これが行くべき道だ、ここを歩け」とだけ言いました。(イザヤ書30:21)。そして友よ、時には神様は私を抱えてくださいました。

神様は、渇する男の告白を使って私に真の平和が苦難から救出されることじゃなくて苦難の中に神様と交わりすることから来ると教えてくださいました。今振り返ると私はその渇愛の時期が神様の終わりのない愛という素晴らしいことを体験する贈物だったと見えます。

「あなたの慈しみは命にもまさる恵み。わたしの唇はあなたをほめたたえます。」(詩編63:3)

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