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ただのチームを応援する者がいて、格別ににチームのファンもいます。
それはあなたもわかるでしょうか。
すこし説明しましょう。
私のチームは弱いです。何年も弱いままです。選手が強いこと、管理員や監督が立派な人など前に何回もあったんですが、成果があるシーズンにはなりませんでした。
なので、ファンという人の中に、ただ雰囲気やイベントが好きだけなの人もいます。
しかし、本当にファンと言える人もいます。何回チームが負けても応援する人です。応援歌も覚えていますし、チームの統計が恐怖にならないし、毎年「今年こそ」と思います。
カナーン・サンディーもそのファンの一人です。
彼が雄一です。私たちのチームがとにかく大好きです。試合に行ったことがある人は、赤いまみれになっている彼を見たはずです。カナーン・サンディーよりチームが誇りになる人はいません。彼は本当なファンです。試合の結果にかかわらず、彼はチームを信じています。
ただ応援するだけ者は彼を見て恥になります。
ヨハネによる福音書2章23~25節
「過越の祭りの時、イエスがエルサレムで奇蹟を行なわれたので、多くの人が、「この方は確かにメシヤ(救い主)様だ」と信じるようになりました。しかしイエスは、そういう人々を信用されたわけではありません。 人間がどれほど変わりやすいものか、その心の底の底まで、知り尽くしておられたからです。」
この人たちはイエス様を信じていたのに、なぜイエス様は信用しなかったのでしょうか。
2つのところを見てみましょう。まず、その人たちはなぜ信じていましたでしょうか。奇跡を見たからです。それで、奇跡はイエス様の本体を明らかにする証拠じゃないですかと思う人もいるかもしれません。それが正しいですけれども、その彼たちは、イエス様が神ということじゃなくて、奇跡だけ信じていました。現在もイエス様は善人で神からの教え者と思う人が多くいますが、イエス様こそ神だとその人は思いません。ジョン・パイパーがいう通り、「なんだかの信仰は救いになる信仰ではありません。」
続いて、25節の最後の辺を見ましょう。「人間がどれほど変わりやすいものか、その心の底の底まで、知り尽くしておられたからです。」イエス様は神であります。全知であります。人間の心も考えも底の底まで知り尽くしています。イエス様から隠れることはありません。
イエス様は、ただ応援する者と本当のファンの違いが判ります。
カナーン・サンディーのように。
聖書によりますと、神様に真の信仰があるかどうか自身を見るべきだそうです。なので、イエス様にどんなような信仰と愛があるか見てみましょう。
損害や苦しみになる時でも信用しますか。シーズンのように長く続く場合でも信用しますか。神様の導きと計画に従いますか。私の名前を知るような仲はありますか。
あなたは本当のファンですか。
しであれば、周りの人に神様が見えるように光りましょう!
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