Blog
昨夜、私は大好きなミュージシャンのライブコンサートに行きました。アンドリュー・ピーターソンというクリスチャンアーティストで、コンサートの途中で観客皆が立って一緒に「Is He Worthy」(彼に栄光あるのか)という歌を歌うように呼びかけました。私と一緒に来た相手はバルコニー席で、下にいる観客全員が丸見えでした。
私の直下には、車イスに座っている若い女の人が歌に没頭していました。歌手が「創成全てが悲鳴するのか」という歌詞を歌うと、彼女は体が衰弱していても全力で「する!」と断言しました。それから、「新しい創成が来るのか?来る!」と全員で歌って、明らかに彼女は腕を上げるものなら賛美で上げているはずでした。脚にも立つ力があるとしたら、きっと彼女は踊りだすはずでした。
私は彼女を見てとてもかわいそうと思いました。体の限界でできない踊りや体を使って賛美を上げること、できたらいいのにと考えた時、びっくりすることが起きました。その次、「神様の栄光が私たちの間に光るのか?光る」と歌う時、私はその女の人が賛美をやめるかと思いました。間違いなく、人生の中に体験してきた苦労や体の不自由で、神様が光なんてないという考えになっているはずですと考えたのですが、
彼女はやめませんでした。
その代わり、祈る姿勢になって賛美を続けました。それを見て私はとてもびっくりしました。この女の人、衰弱する体と長続きする痛みの中にも神様の栄光を見て全力で賛美しました。一方で健康や豊かな生活がある私たちはそこまでしたくないがちです。
私が考えていたところ、観客が歌の最後の歌詞を歌いました。「このことをまた思い出すのがいいのか?いい!」そして女の人は喜ぶように反応して、きっと今まで何回も思い出して癒された様子でした。その瞬間、私はいつも自分のちからで望みを追ったり問題を解決しようとしたりして、神様を考えることに忙しすぎると思ってしまうことを心に気づいて、思い出すべきと思いました。
聖書はびっくりするほど多く、神様のこととその栄光を思い出すべきだと教えるところがあります。申命記8章2節からも、神様はイスラエルの民に荒れ野の中の導きを覚えるように命令しました。その忠実と守りを覚えてほしいのと、神様が信頼を裏切らないから頼ればいいと教えるために荒れ野の中に導いたと覚えてほしかったからです。
詩編130編も、次の言葉で始まります。「わたしの魂よ、主をたたえよ。わたしの内にあるものはこぞって聖なる御名をたたえよ。わたしの魂よ、主をたたえよ。主の御計らいを何ひとつ忘れてはならない。」そしてその編の残りには、恵み、癒し、贖い、愛からの親切、迫害される者に対する正義、そして東が西から遠いほど罪を遠ざける、その御計らいのリストがあります。そのことが覚えるべきの理由になります。
聖書の中で一番長い章の詩編119編は、神様の律法、命令、そして定めを覚えて、従順な子供のように歩んで御言葉に喜ぶと促します。この編は神様の律法に喜ぶことによって価値がない物事の欲望にならないと思い知らせて、そして金と銀より貴重神様から糧と安全を求めるように教えます。
コヘレトの言葉12章は、私に死の日も将来に待っていることが分からないから早い内に神様を覚えて認めるべきと教えます。作者はこの世の娯楽が消え去り、この人生の中に神様を求めることより意味あって長続きするものがないと思い知らせます。
コリントの信徒への手紙一11章24-32節にも、イエス様がご自分の義債を覚えるように呼びかけます。謙虚で罪を悔い改めて自分じゃなくてイエスの正義だけ信頼するように覚えると促します。そして、覚えるのが習慣になるべきです。それでずっと神様の道に戻って交わりの中に歩むことができます。
この聖句が神様の光と栄光を覚えるに関するすべてじゃないですが、これで1つのことが明瞭になります。それは、神様のこと、つまり御言葉と恵みと愛、を考えると、他の全てがうまく収まります。神様の約束の光で苦難が薄くなります。
この真実でコンサートの女の人の照らす喜びが理解できます。見た目や意見を気にせず、苦しみのある現実を受け止めて、神様の愛と恵みを希望の基にしました。この世の上で体が治るところからじゃなくて、体も魂も天国で完全に復活する約束に希望を見つけました。
Copyright © 2025 Lifeword.org. All rights reserved. No part of this article may be reproduced or reprinted without permission in writing from Lifeword.org
