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5月 16, 2023 06:00am
天国の計画
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「ピリポが走り寄ると、イザヤの書を読んでいるのが聞こえます。そこで、「失礼ですが、その意味がおわかりですか」と尋ねました。」(使徒の動き8章30節、リビングバイブル)
私たちが神様から預かっている日々は、気がつけばその時間と元気を奪うことがたくさんあります。例えば、スケジュール帳常に予定でいっぱいこと。その場合は、天国の計画に余地がありますか?ピリポは信仰者の人生がバタバタで豊かになるではないという事例になります。私もタスクを完了することでスッキリすることがありますが、そればっかりで主の御前にいかなければ、信仰から注目が離れてしまいます。そしてそのバタバタの圧倒が喜びを奪うこともあります。忙しくなると、絆より「もの」を求めて、証しにも影響があります。することがたくさんあるのは信仰の道に歩めているわけではありません。ただ私たちの決断には神様を考えていないという証明かもしれません。
ピリポは神様に使われる男でした。かれは神様に従い御名を広げるために走り出しました。聖書の中に決心力、積極性、仕えたい気持ちの3つが見えます。私たちもピリポのようにその特質がありますか?それとも、私たちの注目も力も奪う計画を必死につかみますでしょうか?
例えば、誰かがあなたの生活を一週間撮って、色んな人に見せたら、あなたにとって一番大事なところが何だというでしょうか?次の一週間の予定をもう一度見て、それより神様の計画が上になるように祈ればいいかもしれません。そうなると、その一週間に素晴らしい果てが待っています。さぁ、ピリポのように動きましょう。
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