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12月 15, 2025 10:00am
どうすればいいか
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世界とその住む人々の様子を見るだけで、全てがめちゃくちゃだとすぐに分かります。あちらこちら罪が見えて、私たち誰もが「道を誤り、それぞれの方角に向かって行った」として、実はエデンの園から人類がそうしています。

そこに、解決になるものは一つしかありません。神様は予言者アモスをもって道に迷っているイスラエルの民にそのものについて宣言します。とても簡単な宣言です。

「まことに、主はイスラエルの家にこう言われる。わたしを求めよ、そして生きよ。」(アモス書5章4節)

方向を変える
私たち誰もがするように、イスラエルも周りにある邪神全部に賛美してきました。そして神様はご自身についてまた思い知らせて戻るように呼びかけるように審判を送らせました。なのに、4章に神様が反応について5回言われるように、

「…お前たちはわたしに帰らなかった…」(アモス書4章6、8、9、10、11節)

イスラエルの明らかな罪と神様の明らかな呼びかけに関わらず、民は戻るなんてしません。

解決になる
…のは、簡単なものです。方向を変えて、主に戻るだけでした。でも、そうすることには、そもそも方向が違って変えなくてはならないと認める必要がありました。主に戻らなければならなくて、そうすると神様から重たい罪などに対して約束は、その時も今も素晴らしい約束です。民は、神様を求めなければなりません。

これこそが、最初から今も唯一で偉大な解決になるものです。私たちも、方向を変えて主を求めなければなりません。神様と距離、ご臨在を感じないこと、関係からの暖かさや親しみを失っている気持ち、信仰の歩みの中に聖霊から力がないことなどに気が付いたのであれば、方向を変えなければなりません。神様以外に求めるように騙されたから、今方向を変えて主を求めましょう。そうすれば、「わたしを尋ね求めるならば見いだし、心を尽くしてわたしを求めるなら、わたしに出会うであろう。」

「わたしを愛する人をわたしも愛しわたしを捜し求める人はわたしを見いだす。」(箴言8章17節)

次の宣言をした詩編の作者のようにいましょう。

「心よ、主はお前に言われる『わたしの顔を尋ね求めよ』と。主よ、わたしは御顔を尋ね求めます。」(詩編27編8節)

なぜなら、主を求めて出会う者は、他に見つからない、充実な命を見つけるからです。

Copyright © 2025 by Bill Elliff @ billelliff.org. No part of this article may be reproduced or reprinted without permission in writing from Lifeword.org