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1月 06, 2026 10:00am
「なぜか」を忘れていない?
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私は長年医療分野で働いていて、その中に医者、看護師、療法士、そして生徒までも燃え尽き症候群になるところを何回も見てきました。

必ず確認点にチェックを付けたり、患者との相談で記録が毎回完璧のようにしたり、教育に必須の時間を完了したり、患者訪問のクオーターを満たすようにしたりすることで長く長く仕事をやり続けます。

そして一日が終わると、帰ってぐったりして、明日同じことが待っているという現実に沈みます。

その人々は疲れていました。どれだけ頑張っても足りないという毎日の気持ちでした。

でも、なぜその仕事をすると決心した理由を思い出すところも、私はよく見ました。

化学療法の治療が終わったところで子供の笑顔。
お母さんを亡くした女性からのハグ。
長年の治療と励ましを通して人生を取り戻してもらった男性から礼のメモ。
口唇裂を直してもらった少年がハイタッチで手を伸ばすこと。

「なぜか」。

キャリアでも、結婚でも、ミニストリーでも、なぜそうしたか忘れてまで実績に集中しすぎることはあります。最初にあった喜び、前に感じた愛情、モチベーション、始めた理由、持っているミッション。

あなたは体験したことがありますか?

ガラテヤの信徒への手紙5章15節
「あなたがたが味わっていた幸福は、いったいどこへ行ってしまったのか。」

キリストによる救いは、努力の結果や実績で得るんじゃなくて、ただ信仰からだけです。パウロはガラテヤ人にそう伝えていて、今も神様はそう伝えてくださいます。

律法主義。

ユダヤ化派の者が異邦人の信者に押しつけろうとすること。この人にとって、キリストへの信仰だけじゃ足りないこと、その上にユダヤの律法も従わなければならない必要もありました。

本当に聖神になるのは、律法を守らなくてはならないという考えでした。

律法主義とは、実績、自己優秀性、そして人間関係での葛藤で生きます。善良な行動で神様の好意を得て保持することができる考えです。

そして、イエス様の福音と全く違います。

「わたしの恵みはあなたに十分である。」

恵みとは、得る権利のない物事を得ることです。

神様の愛を得る必要なんてありません。すでに愛されています。そしてイエス様を信じることだけで、救われることができます。

イエス様だけ、そのために犠牲になることができたからです。イエス様が十字架で成し遂げたことによって私たちの罪が赦されて、誰でもその贈物を受けることができます。

だから友よ、イエス様の愛と成し遂げた働きで安らぎを見つけましょう。そして周りの人もできるように伝えましょう。

「なぜか」ってこれですよ。
これが喜びの元。
これがイエス様。

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