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7月 02, 2023 22:00pm
足を置いてみて
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息子が幼児の時、二つだけのことが恐怖になっていました。それは、プールと犬でした。毎回私の頭まで登ろうとしてました。私はあまり身長高くないので簡単だったかもしれないが、本当に腕の方が安全でした。そして毎回落ち着かせて、その次の時にまた同じことが繰り返しでした。

息子がプールの浅い方で立てられるようになった夏も思い出します。水に入る恐怖にならないことで私が恐れを知らない娘の世話ができるようになりそうで嬉しかったです。息子に「プールに立てれるようになって大きくなったね」と褒めました。息子もワクワクして、全てがうまくいっていました。そしてプールに着いて、プールに入り始めました。そこに息子が私の足に引っ付いて泣き出しました。娘にアームリングを付けていましたので、息子に集中しました。今も思い出しますが、その時抱きしめて「大丈夫だよ、足を置いてみて」と言いていました。

その思い出が見えて、神様も子供の私たちに同じ扱いをするだろうかと考えます。私たちにくださった約束を思い出させようとして、そこから希望と平安ができるよと言ってくださるでしょう。そんなことは聖書の何箇所にも書いてあります。

その「すばらしい約束」(ペトロの手紙Ⅱ1章4節)は人類の経験全てに当たります。

罪に許しがある約束も:
「しかし、もし自らの罪を神に告白するなら、神は真実な方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」(ヨハネの手紙Ⅰ1章9節)ヨハネによる福音書3章16節によりますと、「実に神は、ひとり子をさえ惜しまず与えるほどに、この世界を愛してくださいました。それは、神の御子を信じる者が、だれ一人滅びず、永遠のいのちを得るためです。」これらの箇所から罪を告白してイエス様に従うだけで神様の御前で正義として認めていただけるという教えがあります。

私たちが恐怖になる時と意味になる約束もたくさんありますが、いくつの選択肢が下にあります。

「私は安心して横になり、眠りにつきます。たとえひとりぼっちでも、ああ主よ、あなたはすべての危険から守ってくださるのです。」(詩篇4章8節)

「神を信頼し、いつも主のことに思いをはせる者を、神は何の心配もないように守ってくださいます。」(イザヤ書26章3節)

「恐れるな。わたしがついている。取り乱すな。わたしはあなたの神だ。わたしはあなたを力づけ、あなたを助け、勝利の右の手でしっかり支える。」(イザヤ書41章10節)

そして私たちが弱める時、この約束も励みになるでしょう:
「しかし、主を待ち望む者は新しい力がみなぎり、わしのように翼を張って舞い上がることができます。どれだけ走っても疲れず、どんなに歩いても息切れしません。」(イザヤ書40章31節)

「重い束縛を受けて、疲れはてている人たちよ。さあ、来なさい。あなたがたを休ませてあげましょう。」(マタイによる福音書11章28節)

私の息子が足を置くだけで立てると気づくように、私たちも神様の聖書に書いてある約束を踏んで立てられます。

私には神様が必ず守て下さることに対して詩篇40章1~3節が賛美の言葉になります。その聖書によりますと、「私は、ただひたすら主の助けを待ち望みました。すると、その願いは聞かれたのです。あなたは絶望の穴から、どろどろのぬかるみから引き上げて踏み固めた道に下ろし、しっかり歩けるようにしてくださいました。主は私の口に、新しい賛美の歌を授けてくださいました。私があなたに、どれほどすばらしいことをしていただいたかを知って、大ぜいの人が敬虔な心で神を敬い、信頼するようになるでしょう。」

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