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8月 17, 2026 10:00am
神様の答えを待つ
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待つ時間が好きな人とはいません。待つイコール何もしないという印象になる人が多いですが、天国ではその考え方が逆です。

実は、全ての動きが待つことから始まるんです。

神様との身近な関係があった羊飼いでもあり王でもありダビデ王は誰よりもそのことが分かっていました。ダビデ王は全てが幸福であるこの行為によると分かっていたから常に忍耐強く待つことができるように祈っていました。

「あなたのまことにわたしを導いてください。教えてくださいあなたはわたしを救ってくださる神。絶えることなくあなたに望みをおいています。主よ思い起こしてくださいあなたのとこしえの憐れみと慈しみを。」(詩編25編5~6節)

待つこととは受け身の姿勢じゃない
神様を待つことは神様に注目を向けることです。神様の道を親しんで真実を教わって、それから使命された時に動き出すように積極的に耳を澄ませて待つことです。

そうしないのは高慢が原因です。

神様の代わりに自分自信で決断して道を開いて、そこから結果が出ると思いがちだから、すぐに動き出します。認められたい気持ちは誰でもありますが、神様を考えないで気持ちによってすぐに動くのは信仰ではありません。そこから出る結果は、パウロが教える肉の罪だけです。

待つと自分に関する考えが正当になります。待つと、天地の神に関する考えも正当になります。そして待つと、神と人間の違いに関する考えも正当になります。

常に待つ
ダビデ王の信仰は、待望の継続性と忍耐性がその元でした。

「絶えることなくあなたに望みをおいています。」(5節)

「わたしはいつも主に目を注いでいます。」(15節)

ダビデ王は、ちらっと神様に目を向けたわけじゃありません。決心して、他に偶像になりたい全てを無視して神様を待っていました。この世の誘惑全てに抵抗しなければなりません。あらゆる疑問は、主を待つ者に必ず報いがあると言う信仰がその抵抗の力になります。

待望の成果
父なる神を常に待つ者が得る約束は素晴らしいものなんです。次に例えのいくつかがあります。ぜひ読んで覚えて行ってください。

「主を畏れる人は誰か。主はその人に選ぶべき道を示されるであろう。その人は恵みに満たされて宿り子孫は地を継ぐであろう。主を畏れる人に主は契約の奥義を悟らせてくださる。わたしはいつも主に目を注いでいます。わたしの足を網から引き出してくださる方に。」(詩編25編12~15節)

あなたはどこを見ていますか?霊的な活動は必ず、待つことによって成果になります。神様を見て、心で決心して、使命された通りに動くことです。

Copyright © 2026 by Bill Elliff @ billelliff.org. No part of this article may be reproduced or reprinted without permission in writing from Lifeword.org