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「なんだって?」
その時聞いた話しはとても信じられなかったのです。
「名案」と言われたのでわけがわからないのでした。きっと、主任が考えたものじゃないはずです。
それより上の誰かが、全く分からない状態で勝手に考えてきたはずです。
本社の誰かが。
現場が知らないのに、この提案で名誉になると思っていたはずです。成功するとうまみと誉め言葉になる考えだったでしょう。
知識がないことから利益を目指していたのです。
テモテへの手紙一1章7節
「彼らは、自分の言っていることも主張している事柄についても理解していないのに、律法の教師でありたいと思っています。」
エフェソスの教会で虚偽の教えが広がっていました。パウロはテモテをそこに置いて、信じる人に教えと励ましを与えて虚偽の教えに反論することを託しました。
でも、虚偽教師は神の律法に情報源として認められたかったのです。なのに、神の律法に関して全く知識がありませんでした。
代わりに神の律法を曲解して本当の意味じゃなくて自分の正義を主張したのです。
現代でもあるような話しですね。
ですがパウロはその虚偽の主張を反論して嘘をばらしました。神の律法は、最初から人の救いになるためではありませんでした。むしろ、人の罪を明らかにして救い主が必要だと示すのです。
テモテへの手紙一1章8~11節
「しかし、わたしたちは、律法は正しく用いるならば良いものであることを知っています。 すなわち、次のことを知って用いれば良いものです。律法は、正しい者のために与えられているのではなく、不法な者や不従順な者、不信心な者や罪を犯す者、神を畏れぬ者や俗悪な者、父を殺す者や母を殺す者、人を殺す者、 みだらな行いをする者、男色をする者、誘拐する者、偽りを言う者、偽証する者のために与えられ、そのほか、健全な教えに反することがあれば、そのために与えられているのです。 今述べたことは、祝福に満ちた神の栄光の福音に一致しており、わたしはその福音をゆだねられています。」
律法に救いがありません。
その役割は、神様の正義に比べて私たちの現状とどれだけ神様が必要か見せるのです。
律法で私たちはひざまずいて救い主のイエスキリストへ叫ぶべきです。
ローマの信徒への手紙5章20節
「律法が入り込んで来たのは、罪が増し加わるためでありました。しかし、罪が増したところには、恵みはなおいっそう満ちあふれました。」
感謝するべきものでしょう。
神様の恵みに。
無限で計り知れないのです。そしてイエスキリストへの信仰で、誰でも得ることができます。
なぜそうなるでしょう?
神様は愛でそうしてくださったからです。
昔の讃美歌で歌うように、神の愛は海も空もそれより広いです。
その愛で恵みがこんなに感動するものなんです。
努力によって得ることもできなくて、得る価値もありません。どれだけ律法に従っても救いにならないのに、
私たちにできないことはイエスがすでに成し遂げてくださったんです。
つまり、ルールを守って神様に認めてもらうのじゃなくて、
あなたの心を知っておられて、救うほどあなたを愛している主に全てをゆだねる招待です。
あなたはその招待にどうしますか?
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