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睡魔で衣装が古着れになる。
一日中寝台で転がり、手が働きを避ける。
怠慢が雑然とした世の色付けになる。
気移りが王になる。
日常にある小さな責任を達成するのが怠惰の罪から救います。今、手前にあるところで始めればいいです。
怠ける癖の矯正は完璧になることではなくて、努力です。
神様に捧げる小さな奉納だけでも奇跡を起こすことに十分です。
自分が神様から頂いた仕事を果たしていますか?それとも、それ以外なことで気移りになっていませんか?神様が天国の働きで疲れることを決してさせません。その御業をする時間はいつでもあります。そしてする力もいつもあります。神様は誰もに同じくらい時間をくださっています。その時間を正しく使っていますでしょう。そこに怠惰が毒のようです。人生の全てを染めて、意思を乱して、努力の憎しみを生み出すのです。(エリサベツ・エリオット)
神様から休息の命令がありますが休息から怠惰になってどうなりますでしょうか?怠惰で頂いた仕事をしなくなって、そこで罪が生まれます。私たちは忠実で神様に仕えたいのであれば、聖霊の成果が自分の人生に見えるようになりたいのであれば、怠惰をなくす必要があります。託されたことに努力するべきです。
私の怠惰はどこからでしょう。
快楽を追いかける行動からです。
聖ならないものに対する意欲。
命になりそうで死になる罪の習性。
無秩序な生活から怠惰が現れる。
神様は今日全てを託するではないが、託することは必ずあります。
自省の時間:
一時間前からの時間を考えてみてください。あなたの習性がどう見えますか。するべきでしなかったことなかったですか。その時間は託されている仕事をせず快楽で過ごした時間であれば、神様に逆らう時間になりました。服従が祝福になるように、逆らいが死になります。
では、休息と怠惰はどうやって見分けるでしょうか。成果を確認するのです。切りがない休息は実際に偽物で魂が萎みます。本当の休息が癒しになります。偽の方はただ中毒になります。どれだけ体が休息を求めても、決してみつかりません。怠惰はその成果です。
私たちの体は本当の休息に癒されるように作られました。ですが悪魔はそれを奪って、怠惰の罪に巻き込もうとしています。この罠に引っかかったと気づく時、イエス様に祈って告白するべきです。そうすると癒しになるゆるやかな流れのほとりに導いてくださいます。
「主は私の羊飼いですから、必要なものはみな与えてくださいます。主は私を豊かな牧草地にいこわせ、ゆるやかな流れのほとりに導いて行かれます。主は傷ついたこの身を生き返らせ、主の栄光を現すことができるよう、私を助けてくださいます。」詩篇23章1~3節
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