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一瞬で褒め言葉が侮辱になります。
人とはすぐに気が変わります。私も子供のころに毎日のように経験していました。学校に行った時、相手になる友達がいるかどうか毎回知りませんでした。ですけれど、大人でもこんな裏切りを体験することがあります。一週間の味方が次の一週間で敵になるようです。
こんなように、仲間が急に見捨てることはあなたも経験したことがありませんか。私にはちょうどこんなことをされているところの友達がいます。彼女が言うのは、悲しいところは大変な作業をさせられるのじゃなくて、前に支援してくださった上の人に自分が塩扱いになったのです。
「このあと、ある者たちは、イエスにつばを吐きかけたり、目隠ししてこぶしで顔をなぐり、「今なぐったのはだれか当ててみろ」とあざけったりしました。」マルコによる福音14章65節
イエス様はその時まで賛美していた人につばを吐きかけられて、目隠しされて、殴られました。聖書に書いているように、その数日前にはイエス様がロバに乗って町に向かっていました。そして人々が「ホサナ!神に賛美あれ!」と叫んでヤシの葉っぱを振っていました。この行動で王の歓迎をしていましたわけです。しかし、その後、同じ人に殴られる眺めになります。
イエス様は完全に神で完全に人です。私が同じ状況ならば、心が一番痛くなるのは殴りとつば吐きではありません。むしろ、この人々に見捨てられることが一番痛いでしょう。そうなると聖書に書いてありましたが、それでもイエス様のこころが痛みましたでしょう。
私たちもイエス様を見捨てていません?日曜日で教会に行って賛美するかもしれませんが、他の日はどうしますか。その平日の行動では、イエス様をなぐるようなわけではないでしょうか。
私たちの罪を許すためにイエス様は十字架に殺されました。私たちが背負えない罰を代わりにイエス様が背負ってくださいました。それで、私たちに決断があります。罪許しを受けて、永遠の命を頂いて天国で神様と一緒にいること。それとも断って、違う方向に歩んで、結局死と地獄で永遠に神様から離れる状態になること。
私たちがイエス様の招きを受け入れると、それは命の犠牲で私たちを許したことになります。しかし、私たちの恩返しになることありますか。正にないですね。ただ、私たちの人生を神様に捧げて、神様の御業が私たちの生活に満たされるように従うだけです。神様の導きに従うようになります。
私たちは今こそ神様についていかなければなりません。いただく役割を受け取って頑張るべきです。なぜなら、招きを受け入れるのにワガママな人生を過ごすのはイエス様をなぐるようですから。
神様、私たちをお許しください。今日から私たちのこころを清めて、神様の導きに従うように力を与えてください。私たちに聖霊があり、世界中に福音を広げる働きを頑張りますように、私たちにいるものすべてをお願いします!
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