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5月 05, 2023 06:00am
全く不公平だ
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私はドン引きしました。今日、13歳の女の子からとんでもないことを聞きました。彼女はひとりぼっちで教室の一番前に座っていました。他の子に相手がいなくて、授業が終わるまで私が気付かなかったのは、安全ピンを持っていました。中学生なら安全ピンを持つことがあまりありません。

私は次の瞬間でドン引きしました。ご注意ですが、次のシーンがとても悲惨的です。彼女は安全ピンで指先を刺して、肌が垂れるように引っ張りました。いったい何のためにそんなことをすると質問したら、彼女は目を合わせて肩をすくめて、仕方なく赤ちゃんの時に泣き止むようにお母さんにされたからと教えました。

なんだと?

どう反応すればいいかわかりませんでした。

私は聞いたことを言い返して、「かわいそう」と言って手で彼女の肩を触れました。彼女は安全ピンが刺しっぱなしの指を出して、痛くないを応えました。

その青い目の中に見えたのは話と違いました。

そしてチャイムが鳴って、女の子がいなくなりました。

私は動かず、何もできないという絶望な気持ちが中に沸いてきました。人情と触れしかあたえられませんでした。心細くい気持ちも、怒りも感じました。

どうして無罪な子供に痛みをつける人が?

どうして沢山の人が酷い目に?

全く不公平だ。

昼休みの間、この悲しい真実を頭の中に繰り返していましたが、その時に聖霊が3つのことを思い出させてくれました。

1. イエス様にも無罪のに苦しみを受ける体験があります。一回も悪いことをされたことがありません。罪なきの神の子羊でした。少し反語的ですが、私がこの文章を書いた日はイースター前の水曜日です。ちょうど、司祭長がイエス様の殺す計画を立てた日です。

全く不公平でした。

ですが、趣旨はイエス様は私たちに共感があります。誘惑を感じることも、不公平的な扱いを受けることもです。

「この大祭司は私たちと同じ試練に会われたので、にン元の弱さをよく知っておられ、ただの一度も、誘惑に負けて罪を犯したことはありません。ですから躊躇せず、神の御座に近づいてあわれみを受け、時にかなって与えられる恵をいただこうではありませんか。」(へブル人への手紙4章15~16節)

2. 私は無罪ではありません。他人に虐待されるのは必ず相応しくないことですが、私がイエス様の罪なきの存在を考えると自分の罪を見ずにいられないわけになります。意思でも行動でも罪を犯したことが何回もあり、その神様に逆らうことで決して無罪の認めができません。イエス様は、私が原罪で神様と仲ができないことも納得しています。そのため、私の罪を背負って苦しみを受けてくださいました。私はそれで罪が輸すされるのはなんと感激でしょう。へブル人への手紙13章12節によりますと、
「イエスも、町の外で流されたこの血によって、私たちの罪は洗い清められたのです。」

全く不公平だ。

3. イエス様はすべてを善にします。王の中の王は世に戻り、その時は悪に罰が下ってすべてが新しく作られることで善になります。愛と光と恵のある神の国だけ残ります!その眺めはへブル人12章27~29節で説明が書いてあります。

「神は次に、土台の弱いものをすべてふるいにかけ、決して動じないものだけを残そうとしておられるのです。私たちは何ものにも滅ぼされない御国を与えられているのですから、感謝の思いときよい恐れとをいだいて仕え、神に喜んでいただこうではありませんか。神はすべてを焼きつくす火です。」

イエス様は絶対に勝ちます。正義が絶対に勝ちます。その日を待ち望む間、どんな状況でもイエス様が私を深く愛してくださって助けたいということから安心が取れます。

この世の中の人生は必ず不公平です。

全く不公平です。

それに応えて、イエス様を見て信じるのです。

「このように、数えきれないほどの多くの証人たちが、競技場の観覧席で私たちを見つめているのです。だから、うしろへ引き戻そうとする力や、まとわりつく罪を振り捨てて、神の用意された競走を忍耐をもって走り抜こうではありませんか。あなたがたの信仰の指導者であり教師であるイエスから、目を離さないようにしなさい。イエスはあとにある喜びを知って、恥辱をものともせず十字架にかかられました。そして今は、神の王座の右に座しておられるのです。罪人たちの恐ろしい反抗を忍ばれたイエスのことを、いつも思っていなさい。あなたがたが気力を失い、弱り果てることがないためです。」へブル人への手紙12章1~3節